ただいま

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お陰様で無事に帰ってきました。東京は寒いね。厚手の冬服はまだ実家に置きっぱなしで、寒くても着る服があまりない。向こうのギャラリーの人たちはみないい人で、展示の設置もうまくいって、いろいろと胸をなで下ろす。これでずいぶんと落ち着いた。オープニングの後は、レンタカーを借りてロスまで海岸線を下り、典型的な日本人観光客の多くがするように、たくさんの買い物をしてサンフランシスコに戻ってきた。旅の終わりに、レンタカーを返却する前に立ち寄った空港近くのガソリンスタンドでレジのおやじが話しかけてきて、どっからきたのかと訪ねるので日本だと応えると、そうかそうか、あの国は良い国だったな、なにせ当時15歳だったおれにべろべろになるまで酒を飲ませてくれたんだから、といって大らかに笑った。俺も海外に行ったときは色んな人たちに助けられたものだ。だから余所の国から人が来たら、俺たちも精一杯その人の力になりたいと思うよ。どうだい、俺の国は楽しかったかい? そう聞かれて、もちろん。とても楽しかったと応えたのだった。あなたのような人が沢山いる素晴らしい国だったよ。どうもありがとう。

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ロックシティ

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shinpei kusanagi
"towing voyage"
November 5 - December 19, 2009
altman siegel gallery// sf
49 GEARY STREET, [4th floor]
SAN FRANCISCO, CA 94108


というわけで、サンフランシスコ五日目。インストールもオープニングも終わってやっと一段落したところ。サンフランシスコは人も気候も暖かく、食事が美味しい。そして今まで見たことがないくらい自分のお腹が膨らんでいる。今回の展示は今までの経験した中で一番大きなスペースで、初めての海外の個展で、いままで描いた中で一番大きな絵と、そして一番多くの枚数を展示していて、とかくいろいろと初めての多い個展だったのだけれど、無事にスタートが切れてとにかくほっとしている。なんとかなるものだ。これからしばらくこっちで車を借りてぶらぶらして、日本に帰る。日本に帰ったらもう今年いっぱいは遊びまくるのだ。出っ張った自分のお腹をさすりながら、東京のことばかりを想っている。

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あとちょっと。

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暑中見舞いとお盆に纏わるはなし

お盆だから、というわけでもないのだけれど、ふと思い出した子供の頃の話。

昔、お盆に千葉の親戚の家に泊まっていたときのこと。僕はまだ小学校三年生とか、もしかしたらもうちょっと小さかったかもしれない。その家の おばさんがお琴の先生をやっていた関係で、僕たち家族はお琴や日本人形が沢山置いてある部屋に泊まっていた。鼓を持った日本人形とか、鮭を咥えた木彫りの熊やら、キジの剥製やら、田舎の古い家にありそうなものが沢山置いてある部屋だった。そこに川の字に布団を敷いてみんなで寝ていると、夜中にどこか遠くの方から突然お琴が遠くの方からべんべんと鳴り出す音で目が覚めた。目が覚めても、暗闇の中でお琴は鳴りやむどころかどんどんと煩くなって、そのうち三味線や鼓も混じってもう部屋の中で演奏会をしているようだった。でも両親も弟も平気なのかすやすやと横で寝ていて一向に起きる気配はなく、すると今度はその部屋の日本人形や置物たちが動き出して、みんながそこで踊り始めたの。気がついたらすごいまわりもガヤガヤ煩くなって、知らない人たちがいっぱいそこでお酒呑んだり騒い だりしてた。僕は体育座りでその宴をずっと見ていたんだけど、不思議と輪に入ろうとは思わなかった。それからどれくらいの時間が経ったんだろう。一瞬だったような気もするし、ずいぶん長いことそうやって眺めていたような気もするのだけれど、そのうちに遠くから「おい」「おい」って声が聞こえてきて、そ こではっと気がつくと辺りはもう朝で、すずめがちゅんちゅん鳴いていて、両親も弟ももう寝床にはいなかった。その声はいつまでも寝てる僕を隣の部屋から起こそうと呼びかける父親 の声だったのだけれど、その目が覚めた、というよりは我に返った瞬間と云った方が近いかもしれないのだけど、その瞬間に曲の演奏が途中でぷちんと途切れた最後の音が、部屋に置いてあるお琴から「べーん」って鳴ってたんだよね…。

部屋には僕以外誰もいなくって、夢だったのかと思ってお琴を見ると弦がまだ震えてて、居間にいる親や親戚に何度もしつこく僕を起こしに来たかと訪ねたんだけど、誰も僕を起こしに部屋には来ていなかった。あれがなんだったのかはわからないし、それから何度同じ部屋で寝ても二度とあの宴に巡り会うことはなかったのだけれど、あの不思議な喧噪の中の静寂と安堵感は、まだ記憶の中に強く残っている。

                                                                                                                                                                                                     

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暑中街道

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さよならも云わないで

 お昼にモスバーガーに行ったら、メニューの中で一番好きだったチキンバーガーが販売終了になっていた。マイケル・ジャクソンも死んでしまった。そして僕のアトリエには、新しい椅子が来た。


 新しい椅子はアーロンチェアという、十六万円もする王様みたいな椅子で、腰にとても佳いと云われている。ヤンエグ(死語)みたいで部屋にはそぐわないし、場所も取るしと散々逡巡したものの、最近日増しに酷くなる腰痛には換えられず、制作が一段落した開放感も相まって、先日ふと注文してしまったのだ。注文したときの僕は、たぶん悟りきった高僧のような顔をしていたんじゃないかと思う。

 届いた椅子を宅急便のお兄さんと二人がかりで部屋に運び入れ、梱包を解いてさっそく座ってみると、座り心地は上々で、椅子を前傾で固定もできる。今まで使っていた学校用の椅子と比べれば、軽自動車からロールスロイスに乗り換えたようなものなのかもしれない。机に向かって前のめりの姿勢はどこか攻めの体勢で、なんだかバリバリと素晴らしい絵が描けそうな、そんな気分にもなるようで、さっそくこうして文章を打ち始めてみたのだけれど、やっぱりそれは気のせいだったみたい。

 窓を全開にして、部屋を掃除する。雑誌と段ボールをひもで束ねて、床のぞうきんがけをして、ついでに台所とトイレも掃除する。それから新しいキャンバスを二枚張って、冷蔵庫からアイスを出して、買ったばかりの椅子に腰掛けてぺろぺろと舐める。十一月の個展の会場は京都よりも大きい場所なのに、準備期間はもう三ヶ月ほどしか残っていない。今日は暑いね。立て膝をついてアイスを舐めるには、アーロンチェアーよりも学校の椅子の方がやっぱりしっくりくるようだ。Youtubeでマイケル・ジャクソンの映像を見ながら、もうチキンバーガーを食べることは叶わないのかと思う。

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キャプテン・フューチャー

京都の展示の搬入を終えて、東京に戻ってきた。暫くぶりの事務所の窓をすべて開けて、ぐったりしていたベランダの植物に水をやり、冗談のように溢れていた郵便物を整理して、宅配便の再配達の手配をし、それから椅子に腰掛けて両手両足20本の指の爪を切りそろえた。京都に比べれば、この時期の東京はまだまだ過ごしやすい。

 京都に向けて十六、七点くらいの作品を描いたのだけれど、丸二日悩んだ末に、結局六枚だけを壁に掛けた。それくらいがちょうどいいような気がしたのだ。でももしかしたら、楽しみに来てくれた人にはすこし物足りなかったかもしれない。京都はとても蒸し暑くて、一月後に迫った祇園祭の宵山に向けて早くも浮き足立っているような、そんな気配があった。やれるだけのことはやったと思うけれど、他にもいくつか反省点や気づいたことがあって、それを忘れないように手帳にメモをした。絵を人に見せるのはいつまでたっても恥ずかしくて、そこを思い切るまでにいつもとても苦労する。こんなに苦しんでいったい何で絵なんて描いているのかと偶に思うけれど、今のところ明快な答えは得られていない。

 オープニングを迎えた翌日に、電車に乗って嵐山に出かけた。以前、日記でもすこし触れたことのある親戚の伯母さんが一月ほど前に亡くなって、嵐山のお墓に入っている、そのお墓参りをするためだった。嵐山は雨。目前の山々は深い霧に被われて、白く霞んで見える。駅前の花屋で花を買い、寺の山門をくぐってお墓の前に辿り着いてから、お線香を持ってくるのを忘れたことに気がついて舌打ちをする。いつだってなにかが欠けている。このお墓に来たのはこれが初めてで、これまで何度も嵐山に来たことがあるというのに、親戚のお墓がこんなところにあるなんて全く知らなかった。お墓に水を掛けて花を差し、手を合わせて線香を忘れたことと、それから最後に病院で会った際に苦しむ伯母に対して不覚にも僕が涙を見せてしまったことを詫びた。あの時笑ってあげるべきだったのだ。僕は。あれからずっとそう思っていた。

 京都からの帰り、東京駅から中央線に乗り込むと、サングラスをかけた派手な恰好の女の人が大きく口を上に開けてシートの端で眠りこけていた。どうも乗り過ごして東京駅まで来たようだ。その大きく開かれた口に呑まれて起こすタイミングを逸するうちに発車のベルが鳴り響いてドアが閉まり、電車はまた青梅へと向かって走り出して、そうして僕は結局その子のことを起こさなかった。なぜ起こさなかったのか、理由はよくわからない。僕が電車を降りるときもその子は身動きひとつしないまま、シートの端で深い眠りの中にいた。あのあと、あの子はいったいどこで目を覚ましただろう。そして僕は今、いったいどこに立っているのだろう。

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プレイ・ボール

Edmkusanagi
(^-^)ゝshine

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三つ数えろ

よく行く定食屋の「ありがとうございました」が「毎度ありがとうございました」に変わった今日は定食屋記念日。この胸にこみ上げてくる悦びはなんだ!

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ひまなのか。

いよいよ間近に迫ってきました。出来ることなら土下座をしてどこかへ旅に出たい。

■京都の個展の詳細はこちらをご覧ください。

 それから、東京、大塚にあるMisako&Rosenにて6月22日から7月19日まで開催されるグループ展「ゲバゲバサマーショー」にも参加することになりました。こちらには、小品を二点展示する予定です。お近くにお立ち寄りの際は是非。宜しく御願いいたします。


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 おまけの話。

  先日、打ち合わせに出かけた馬喰町での出来事。駅を降りて、打ち合わせするデザイン事務所へと歩いていると道すがらにでっかいタワー型分譲マンションが建っていて、へー、こんなところに こんなタワーマンションが建ったのかと思っていたら、どうやら本当に出来たばかりのよう。「好評分譲中!」と書かれたたくさんの幟の前でスーツ姿の女の人 が分譲マンションのチラシを配っていて、道行く主婦とかサラリーマンとかに「よろしく御願いしますー」なんて黄色い声を出していて、なんだよマンションな んて買わねえよ、そんなチラシもらっても捨てるだけだよと内心思いながらその脇を通ったのだけれど、前を歩く二人組のサラリーマンにチラシが配られて、い よいよ僕の番だと心づもって横を過ぎると、なんとどういうわけか僕にだけ配られないの…。前の人たちにはみんな配ってるのに、なんで僕だけスルーなの! あまりの衝撃に思わず後ろを振り返ったら、僕の後ろを歩いてたスーパーの袋ぶら下げたおばちゃんもちゃんとチラシもらっていました…。  ギャー僕もチラシ欲しい! おねがい!

 もしかしたらマンションの購買能力がないと思われたのかしら…。そん なに貧相な身なりもしていなかったつもりなのに、いったい何が悪かったのか。わたしは本当にくやしくて、その後ずっと悶々と考えておりました。当然打ち合わせには全く 身が入らずじまい。そしてわたしはどんなにお金持ちになってもマンションだけは買うまいと、打ち合わせの最中に堅く心に誓ったのでありました。
おしまい。

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砂漠

ごぶさた。

僕の名字は漢字で書くと今巷を騒がせているあの人と同じなのだけれど、生まれてからこの方、これほど自分の名字が活字になって世の中に溢れているのを見たことがない。新聞、テレビ、電車の中吊りにインターネット、何を見ても僕の名字が書いてある。それは自分でも意外なほどに新鮮かつ衝撃的な光景で、珍しい名字だから何代か溯ればもしかしたら薄い血の繋がりくらいはあるかもしれない自分も、泥酔したらそれくらいのことはしかねないのだろうかとビール片手に訝りながら、しかしながら、確かに酒に溺れて全裸で叫びたくなるようなこの世の中ではある。

 個展に向けての絵は遅々として進まず、ただだらだらと部屋に籠もって机の前に齧り付くだけの日々。ちょっと上手く事が進みそうになると欲が出て忽ち筆が鈍り、そこを無理にと思い切れば、いとも容易く粗相する。そのただ繰り返し。どこにもいかない。本日も労多くして糧少なし。そうして同じ音楽ばかりを繰り返し聴いている。また一歩も外に出なかった。

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ようこそここへ

毎日欠かさず聴いていたTBSラジオの「ストリーム」が今日で終了。それが本当に本当に本当に残念でならなくて、あまりの残念さにぼーっとしながら洗濯物を取り込んだら、物干し竿の先っぽで襖に大きな穴を空けた。
 最近はずっと籠もって絵を描く日々。気持ち的にはだいぶ追い込まれて、また深い穴の中に戻ってきた。でもまだあまり手が上手く動かない。もっとこまめに取り組んでいれば、というのはいつもの後悔。まだしばらくは睨めっこの日々が続くんだろう。宅急便を出すために数日ぶりに外に出たら、いつのまにか世の中すっかり春なのね。





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個展のお知らせ

みなさんこんにちは。いつもこんなろくに更新できていないサイトをご覧頂き、すみません、そしてありがとうございます。突然ですが、個展のお知らせです。今年は個展を二回予定しています。不精に毛が生えたこの僕が一年に二回も個展をするなんて、大丈夫かしらと我ながら寒心に堪えないのですが、ここ最近は決まったものは仕方がない、やってやろうじゃないかと、発売したばかりのPS3のゲーム「龍が如く3」でNo.1キャバ嬢を育て上げつつ自分に言い聞かせる毎日です。これおもしろいの。絵、描きたくないの…。日程などは変更になる可能性もありますが、とりあえずお知らせでした。また詳細がわかり次第ご報告します。お近くの人は、是非お立ち寄りください。尚、今回の個展はギャラリーの意向により、どちらもDMの発送はありません。ご了承ください。

■ 2009年6月19日(金)〜 7月25日(土)
 タカイシイギャラリー京都
 http://www.takaishiigallery.com/

■ 2009年11月5日(木)〜約一月間 
 Altman Siegal gallery SF(サンフランシスコ)
 http://altmansiegel.com

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しるし

 この間、母親と一緒に叔母のお見舞いに出かけた。九十を過ぎた叔母はもう歩くことすらできなくなっていて、何ヶ月かに一度の割合で転院を繰り返しながら、今はある街の病院にいる。訪れてみると、看板が出ていなければ普通の貸しビルなんじゃないかとも思えるような、こぢんまりとした病院だった。
 面会時間に合わせて病院の階段を上がると、女の人の痛い痛いと泣き叫ぶ声が廊下に響き渡っていた。誰もいない廊下に場違いなほど大きく響くその声は呪詛のようで、しかしどこか、駄々を捏ねる子供の泣き声のようでもある。その声の渦を、頭を低く、肩をすぼめて掻き分けるように部屋番号を辿ってゆくと、果たしてその声は、叔母の声であった。

 それ以来、例えば絵を描きながら、酩酊しながら、就寝前の寝床の中で微睡みながら、あの叔母の泣き声がふと耳元に蘇る。暗いところから突然ぼこりと沸き上がってきて、耳を撫ぜ、中空へと消えてゆく。そんな時は、ただじっとその声に身を竦ませて、歯を食いしばってやり過ごす。それは恐怖であり、畏怖であり、それから祈りでもある。あの病院の、あの病室で、今頃叔母はどうしているだろうか。お見舞いに行ったとき、あの後、泣き止んだ頃合いを見計らって入った病室で、叔母はずっと昔のことばかりを話していた。銀座で祖父にアイスキャンデーを買って貰ったこと。それがとてもうれしかったこと。小学校の時、クラス全員で叔母の家に遊びに来たときのこと。結局のところ、深く記憶に残るのはいつだってほんの些末な出来事なのだろう。ほんとうに僕はこの人について何も知らないんだと思って、泣いたって仕方がないとわかっていても構わず熱くなる目頭を必死に堪えていたら、それを見た叔母が、「あんたはやさしすぎるね」といって、ふふふと力なく笑った。その笑い方は、快活だったときと同じ、独特なあの笑い方だった。

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謹賀新年

新年の手紙(その一) 

きみに
悪が想像できるなら善なる心の持主だ
悪には悪を想像する力がない
悪は巨大な「数」にすぎない
材木座光明寺の除夜の鐘をきいてから
海岸に出てみたまえ すばらしい干潮!
沖にむかってどこまでも歩いて行くのだ そして
ひたすら少数の者たちのために手紙を書くがいい


詩のことは(も)よく知らないけれど、この田村隆一の詩を、新年になると思い出したように毎年読み返す。材木座というのは鎌倉に実在する地名で、偶然にも僕の祖母のお墓もその町にある。だから尚更この人の詩に親近感のようなものを抱くのかもしれない。どこまでもまぶしい光。その力と高揚と。気がつけば今年は年男なのだった。あけましておめでとう。今年も宜しくお願いします。

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鰻丼エレジー

歯医者に行って取れた銀歯を治療してもらった帰り道、いつも立ち寄る鰻屋でランチを食べる。綺麗なビルと洒落た店の建ち並ぶ軽薄な街の中に毅然と構えるこの店だけはいつ来ても驚くほど完璧に昭和のままで、がらりと引き戸を開けると奥に長細い長方形の店内にはコの字型のカウンター席だけがある。カウンターの中ではおかみさんが、店先では店主が通りに向かって黙々と鰻を炭で焼き続けている。ランチの鰻丼は九百円。少し迷ってから、ビールの小瓶も注文する。三百五十円。お茶の濃さも、店主の顔も、客層も、ビールの小瓶や丼の値段も、何もかもが好ましい。店主があいよと合図を送ると、女将さんがさっと駆け寄ってご飯を丼に盛り、タレを回しかけてすっと差し出す。店主は焼きたての鰻から櫛をぬいて、その上にそっと載せる。その一連の所作には、同じことを何十年もただひたすら繰り返すことによってのみ得られるある種の美しさと鋭さがあって、お新香を摘んでビールをちびちび飲みながら、手にした文庫本を読むのも忘れて暫し見入ってしまう。

  戸が開いて、入ってきたお客が千六百円の「上丼」を頼むと、鰻丼を食べていた数人の客が一斉にそちらをちらりと一瞥する。頭上に置かれたテレビは、「今日はクリスマスイブですね」と云っている。僕はおまちどうと出された鰻丼を頬張って、ビールできゅっと流しこむ。ねえ、大人になるのって存外悪くないもんだよ。十年前の自分にそう話したら、いったい二十五歳の僕はどんな顔をするのだろう。鰻丼を噛み下しながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。

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各地より

R0019893

(^-^)ゝ

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サーフズ・アップ

朝目が覚めると外は曇天で、ちょっと肌寒いけれど気持ちのいい冬の寒さだった。空気はからりと張りつめて、いつのまにかすっかり冬の陽気になっている。事務所の辺りは、いつも週末はそうであるようにしんと静まりかえっていて、物音一つ聞こえない。時計に目をやると十時を回ったところで、大きく伸びをしてからベッドを抜け出してユニクロのフリースを羽織る。それから机に向かって、ぼんやりと絵を描きはじめる。とは云っても、これはそんなに急ぎの絵ってわけじゃない。先週まで根を詰めていた大きな絵は、数日前に全部ギャラリーに引き渡した。どうだろう。たぶん、わりとよく描けたんじゃないかと思う。結局のところ、選んだことが正解なのだ。しかしそれを飲み下すまでに、いつもとても苦労する。
 先週は消え去った十月を取り戻すかのように、連日お酒を飲んでいた。何曜日のことだったか、集合場所に向かう電車の中で女子高生を見た。時間は夕暮れで、学校帰りだろうか、その女の子はドア横にもたれかかってぼんやりと外を眺めながら、右手を肩から提げた学校カバンの中に入れると、徐にすうと一本、ポッキーを取り出して、そのまま小さく口に入れた。その光景を見て、なんだかやっと地上に帰ってきたと思ったんだった。今日は一日特に予定もない。誰に会うこともない。たぶん部屋から一歩も出ることなく過ごすだろう。少し肌寒く感じて、ストーブを付ける。昨日買ってきたCDを掛けながら、台所でうどんを作る。具は葱と油揚げと豚バラと溶き卵。食べ終わって、また絵に戻る。適当に切り上げたら、読みかけの本を読もう。眠くなったら、さっさと寐てしまおう。こんなふうになんの後ろめたさもなく怠惰に過ごせるのは、きっとちょっとの間だけのことだろうから。

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五月の箸

ここ最近はずっと部屋に籠もって絵を描く生活で、毎日ほとんど外に出ることがない。なんだか煮詰まってしまっているような気がして、以前買ったまま一度も袖を通していない、家賃と同じくらい値段の張る服を着て、徒歩三分の郵便局まで振り込みに出かけてみる。受け付けてくれた郵便局員の女の人は僕の方なんかちらりとも見なかったけれど、そんなことはべつにいいんだ。

 商店街途中の交差点の角にある、昔ながらの陶器店の窓ガラスにはワープロで打ったA4の紙が貼ってあって、そこには「マイ箸で地球にやさしく!」と書かれているのだけれど、その下には英語で「MAY HASHI」と書かれていて、これはもちろん「MY HASHI」の打ち間違えなのだろう。でも五月の箸はどこか花咲く草原のように暖かで、そよそよと風が吹いて、干した布団のような匂いがしそうなかんじがして、それはそれでとても魅力的に思える。買えるなら欲しいくらいだ。でももしかしたら、ご飯を食べるときはその匂いが邪魔になるかもしれない。それに納豆を食べた後に洗ったら、またちゃんと干した布団の匂いに戻るだろうか。納豆臭い布団の匂いは、ちょっと具合が悪そうだ。そんなことを考えるうちに、歩行者用の信号は青に変わる。頭の中は、再び絵のことでいっぱいになる。

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熱海の夜

十一月末にマイアミで開かれるアート・フェアに向けて急遽大きな作品を数点描かなければならなくなって、慌てて世界堂で木枠と画布を買ってくる。木枠を組み立てる作業は、嫌いじゃない。普段から終わりの不明瞭な仕事をしているからか、進み具合が明快に解る作業は単純に解りやすくて、絵を描くのとは少し違った無心の心地よさがある。微かな期待と、大きな不安を込めて木槌を叩き、木枠の直角を出してから、ガンタッカーで画布を張る。ぴんと張れるまで、何度もやり直す。画布の張り方は独学で憶えたから、もしかしたらもっとうまく張れる方法があるのかもしれない。いつもそんな想いが過ぎったりするのだけれど、終わればすぐに忘れてしまう。新しい事務所になってから大きな絵を描くのは初めてで、そのせいか出来上がったカンバスを壁に立てかけてみても、なんだかうまく視界と馴染まない。無言の存在感が、じっとこちらを威圧する。うまく描けないかもしれない。でも、もしかしたら上手く描けるかもしれない。そんな気持ちの起伏に呼応するように、カンバスはとても大きく見えたり、とても小さく見えたりして、これで絵を描く準備は調ったものの、またこれから暫くは暗く長いトンネルの中に潜らなくてはならない、その覚悟がまだ出来ないままに、ずるずると夜だけが更けてゆく。畜生、負けたくないな。気分転換に熱い風呂でも浴びようかと近所の銭湯に出かけると、今日は定休日だった。仕方なく事務所に戻って読みかけの本を開く。その脇ではカンバスが、じっとこちらの様子を伺っている。

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