そのうち梯子を手配して自分でやるから放っておけばいいとあれほど口酸っぱく親に言付けておいたのに、いつのまにか勝手に電気屋を呼んで地デジのアンテナ交換に三万円もぼったくられたその腹立たしさ(といっても別に僕が払った訳じゃないのだけれどくやしいものはくやしいのだ)といったらなかったのだけれど、そんな喧々諤々のあとでいざ地デジを視聴してみるとMXだけ映りが悪いという微妙な仕上がりで、これでは「5時に夢中」も「どうでしょう」の再放送も「宝島」も「もじゃ公」もみられないじゃないか。正確には観られることは観られるのだけれど、時々ノイズが酷くなって視聴できない状態になったりするので、これはやはり電気屋に文句を言ってもう一度屋根に登ってもらうべきかとも思ったのだけれど、正直そのやりとりを考えただけで面倒くさくなって、以来自分で屋根に登ってアンテナ調整をする機会を窺っていたのだった。そして、はたしてその契機は意外と早くやってきた。家の屋根を塗り直しにペンキ屋がやってくるという。
梯子をかけたペンキ屋さんにお願いして、おっかなびっくり屋根の上に登る。我が家は通りに面した前半分が平屋、後ろ半分が二階建てという造りになっていて、つまり地面から一階の屋根、そこから二階の屋根へと、二回にわけて梯子と脚立を登らねばならない。平屋側の屋根は中学生の頃、この家を建て替えている最中によく友達と塀伝いに登ってジュースを飲んだりしていたのだけれど、二階の上の屋根にはまだ登ったことがなかった。二十年以上も暮らしている家なのにまだ行ったことがない場所があるというのは、いささか感慨深いものがある。
たった4、5m、一階分視線が上がっただけなのに、思ったよりもずいぶんと遠くまで見える。気持ちのいい太陽の光を受けて、遠くのビルの窓が反射している。見知った街並みの、知らない景色。何件かの同級生の家、公団のあとに新しくできた建て売り住宅の群れ、電信柱の点検作業をしている人。自分の通った小・中学校も、隣の小・中学校も見える。こうしてみると改めて、自分の家が学校に囲まれていることに気づかされる。隣の家の壁しか見えない家の中では見ることの出来ない様々なことが拓かれた視界に飛び込んできて、なんだか解脱でもしたような気分になる。アニメ「母を訪ねて三千里」の「屋根の上の小さな海」の回みたいだ。さすがにここから海は見えないけれど。
自分のことも、これくらい拓けて見渡せればいいのに。でもそうしたら、目にするもののあまりの愚かしさに身を投げたくなったりするのだろうか。
アンテナを少し高い場所に取り付け直し、アンテナの馬を固定する針金の補助支線をとりつける。作業自体は十分もかからない単純なものだ。こんなことに三万円も払うなんて、と過ぎた怒りが蘇る。ほとんど屋根の登り賃みたいなものじゃないか。馬鹿馬鹿しい。そう思いながら、しかしこの場所は確かに、二十数年間一度も訪れたことがないという意味では、ニューヨークよりもウィーンよりも遠い場所なのかもしれない。
ペンキ屋のおじさんは、屋根の上をひょいひょいとまるで床みたいに歩く。そういう僕は、完全に腰が引けている。
「こういう所で働くの、きもちいいですね」というと
「夏場は大変だよ。三十分もいられないよ」という。
そんなことに思いも及ばず、我が家でも一度夏場にお願いして「秋になったら」と言われたことがあったので、
「だから夏場はやらないんですね」というと、
「まぁ、全部が全部そうできたらいいんだけどなあ」といって、おじさんは笑った。