あめとむち
何日か前に、一日のあいだに何度もスコールが降った日があった。突然空が暗くなって、文字通り「バケツをひっくり返したような」雨が降ったかと思うと、ぱっと晴れあがり、それが午前中に一度、午後に二度あった。その午後の雨と雨の合間、雨が止んだかと思うとぱっと空から差したその光がちょっとどうしたのかと思うほどに美しくて、いてもたってもいられずにカメラを持って家から飛び出した。ビルや街路樹の輪郭がいつもよりずっとシャープに鮮やかに浮かび上がり、軽トラが、電柱が、ビルが、セブンイレブンが、目に映る何もかもがまるでなにかを祝福するように光り輝いていた。興奮して夢中でシャッターを切りながら、でもこれは写真には映らないだろうと思った。後日現像からあがってきた写真を見ると、やはり撮りたいと思ったものはなにも写っていなかった。
とても腹の立つことがいくつか重なって、とてもいらいらしていた。腹が立つのは自分の思い通りにいかないからなのか、あるいは自分など大したことがない、という当たり前の現実を目の前に突きつけられたからなのか、どちらなのかと考えてみる。たぶんどちらもそうなのだろう。しかし自分の思い通りに行かないのは至極当然のことではないのか。その当たり前のことを今更目の前に突きつけられたところで、今更怒る程のことではないのではないか。そんなことをぐるぐると考えているうちに全てが面倒くさくなって、もう考えるのを辞めた。みんな好きにしたらいい。いくつか重なったうちの、あとの方で起こった出来事に対して、既に感情を害していた僕はもしかしたらフェアな対応ができなかったかもしれない。でも、いつも誰かが自分に対してフェアであるべきだ(あるいは、他人は自分に対していつもフェアであるべきだ)、という信仰は、それにしても、いったいいつ頃始まったものなのだろうか。
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PCを買い換えたので、ハードディスクの整理をしていたら昔書きっぱなしになっていた文章を見つけた。データを見ると、最終変更日は2014年5月28日となっている。とても腹が立つことがどんなことだったのか、いまとなってはなにも思い出せない。