崖の上のポニョ

新宿にて鑑賞。これ、いろんな意味ですごい映画でした。宮崎駿恐ろしいよ。ちょー狂ってました。すごい。こんな映画、あの人でなきゃ作れないよ。巷では賛否両 論激しいようですが、僕はとても楽しくみれました。映画はどのシーンを見ても、単純に絵が動くと云うこと自体の楽しさに満ちあふれていて、画面の隅々で動 き回るそれぞれの生き物が、絵の中できちんと生を受けている感じがとてもよかった。画面の隅にワンカットだけ映し出されたタコだって、その前も後も、画面 に映っていなくたってあの世界の中でちゃんと生きているって思える。それって単純にすごいよ。宮崎駿は本当にアニメでなくちゃ出来ないことをやって ると思う。ポニョが海の上を駆けるシークエンスなんて特に、本当に圧巻で、なんだあれ。すごすぎるよ。

 前述したこの映画の賛否を分かつのは、そのストーリーの支離滅裂さを受け入れられるかどうかにかかっているように思う。A+B=Cのように物語 は進まずに、ただ暴力的なまでの疾走感とグルーブ感だけで物事は展開して、気がついたらなんの種明かしもないままに物語は終わってしまう。例えば「月がこ れ以上近づくと地球が滅びちゃう!」と男が嘆くのだけれど、なんで月が近づいているのか、どうして月が近づくと地球が滅びるのか、どんなふうに滅びちゃう のか、なにが原因なのか、そんな説明は何一つなされないまま、物語は終わってしまう。そして物語が終わっても、その危機はその後回避されたのか、あれはな んだったのか、そんなことも一切明示はされない。そういうところを受け入れられない人、A+B=Cという明快なルールを映画に求める人は、きっとこの映画 を駄作だというのではないかと思う。

 でも、考えてみれば実際に僕たちの生きる現実社会にしたって、現在何が起きているのかを的確に把握し、俯瞰的な視点から状況を把握するというこ とは、およそ不可能なのではないだろうか。誰かが地球温暖化だという。二酸化炭素の排出量のせいだという。でもそれが本当なのかは、誰にも解らない。本当 に二酸化炭素だけのせいなの? そんなに解りやすいわけないんじゃないの? 危機感だって、危機感のない人から見れば、ただの気狂いにしか映らない。いろ いろな価値観が混在し、いろいろな説があり、なにが正しくて、なにが悪いかなんて誰にもわからない。僕たちの生きているこの世界はそんな混沌とした関係性の世界 であり、しかし僕たちは、そんな不透明で限定的な視座と能力の中で、ポニョが海の上を迫り来る予測不可能な波や障害物を越えて力一杯走り抜けるように、この現 状から駆け抜けなければならない。なにもかもが未確定で、虚ろで、見通しの立たない状況の中でただ一つ出来ることは、力一杯に走ることだけなんじゃないだ ろうか。そしてその原動力となるのは、畢竟個々人の心の持ちようだけなんじゃないだろうか。この映画の訳のわからなさ、暴力的な唐突さに、そんなことを考 えさせられました。

 もう一つ、そういう暴力的な展開や訳のわからなさに、すごく子供の頃を思い出しました。子供の頃って、親になんで怒られたのか解らなかった り、なんか気がついたらどんどん状況が悪化してわけわからなくなって泣いちゃったりした事があったじゃない。大人には大人の世界があって、事情や経過があ ることはなんとなくはわかる。でもそれがどんなもので、何なのかは子供には全く理解が出来ないし、どうすることも出来ない。その理不尽さ。意味不明さ。宮 崎駿はどこかのインタビューで、この映画は子供のために作ったと話していたけれど、この映画は大人をも子供化させて映画の中に引きずり込んじゃおう、とし ているような印象すら受けました。だからやっぱり、そういうふうに翻弄されるのが嫌いな人がいるというのも、すごくよく理解できるんだけど。

 映画は新宿のレイトショーで見て、見終わったのは午前二時とかだったけど、一緒に見た友達三人でそれから一時間くらいずっと映画の話をしながら 帰りました。主題歌歌ったり、ツッコミ入れたり、ただ酔っぱらってただけって噂もあるけれど、でもやっぱりあれは映画の力なんだと思うよ。とにかくね、魚 が人間になったり海が丘になったり水の中で息が出来たりと有り得ないことだらけのお伽話なのに、発電機のエンジンをかけるときはちゃんとチョークを引いて からエンジンをかける、わたし宮崎駿のそういうところが本当に大好きです。愛してる。

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むかしのこと

何日か前に、居酒屋の女将から「これ、おみやげね」と渡されたオレンジを食べた。汁が零れても良いように台所のシンクに立って皮をむいて、これ、甘皮のままでも食べられるかしらと訝りながら口に含んでみたらやっぱり堅くて苦くって、指でつまんでシンクに捨てたその瞬間に、そういえば子供の頃、みかんを祖母が同じように食べていた姿が蘇ってきて、そんなのすっかり忘れていたのだけれど、それから祖母がそうして一度口に含んだ甘皮を取り出して、剥いた皮の上に乗せる様が子供ながらにとても怖く映っていたことも、一緒に思い出した。

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浅草セレナーデ

引越に伴って、元浅草で荷物の整理をしていたときのこと。部屋には一つ、本当は事務所で寝る際に使うつもりで購入したものの、シートのリクライニングが甘くて寝心地が悪かったせいでただの荷物置きと化していた布張りの安いリクライニング・チェアーがあって、新しい事務所に持ってゆくにはちょっと大きすぎるし、かといって捨てるのも忍びない。だれか欲しい人はいるだろうかと思っても部屋に置けばけっこうな場所を取るし、運ぶのも手間だから持って行ってくれる人もなかなかいなそうで、どうしたらいいか迷っていたのだけれど、でも誰も引き取り手が現れなければその時は粗大ゴミで出せばいいかと思い定めて、思い切って事務所の前にブルーシートを敷いて他のいらない本やCDと一緒に「ご自由にお持ちください」と貼り紙をして置いておくことにした。
 そんなことを始めた当の本人ですら、誰かが持って行ってくれるだなんて半信半疑、なくなればラッキー程度の軽い思いつきで始めてみたことだったのだけれど、何事もやってみなければ解らないもので、それから三十分程経った頃だろうか、ちょっと様子を見に外に出てみると、段ボールを山のように積んだリアカーを牽いたお爺さんが並べておいた本もCDもテレビのアンテナも一切合切ぜんぶをリアカーに積み込んで、仕舞いには敷いてあったビニールシートまできれいに折り畳んでまさに持って行こうとしているところだった。僕は一瞬目を疑ってから、慌ててお爺さんにそのビニールシートはまだ使うからあげられないのですと話しかけたのだけれど、それをきっかけにどこでどう話が繋がったのか、気がつけばお爺さんは八十二歳で、太平洋戦争で足を負傷して三ヶ月の間イモリを食べて生き延びて、やっと日本に帰ってみれば自分は死んだことになっていて戸籍もなくなっていて、しかし親族も戦争で皆死んでしまって身元の証明が出来ず、戸籍を復活させるには莫大な費用がかかることが判明して以来ずっとこの段ボールハウスで生活しているんじゃ、区役所にも悪いけどじいさんはこの段ボールハウスで死んでくれと云われ取るんじゃと身の上話を訊かされて、八十二歳にしてはずいぶん若く見えると若干訝りながら、でもお爺さん、本やCDはどこかで売ってもらっても構わないけれど、この椅子は汚れたら洗えないし、荷物になるし、外で使ったらきっとすぐ汚れちゃうからかえって邪魔になるかもしれないですよ、と云うと、いやじゃ、わしは公園でこの椅子に腰掛けて夕涼みするんじゃ、これからの季節なんて最高じゃー! と零れんばかりの笑顔を振りまかれて、それなら断る理由はない。持って行ってもらうことにしたのだけれど、ゆっくりとリアカーを曳くおじいさんの背中を見送りながら、果たして僕はお爺さんに良いことをしたのか悪いことをしたのか、椅子にとってはもしかしたら悪いことをしたのかもしれないな、などと考えていた。でもあの笑顔は、いい笑顔だったな。いまごろどうしているだろう。


 そういえばお爺さんから打ち明け話を聞かされている最中に、ふとお爺さんの自転車のサドルに目を落とすと僕のCDがきれいに山積みされていて、その一番上に置いてあったCDはジンの「言錆の樹」のシングルだったのだけれど、まさかお爺さんはそんな音楽絶対に聴かないだろうとは思いつつ、つい想像してしまうのは、あのお爺さんがどこかの公園でジンのCDを聞きながら僕のあげたソファーに座って夕涼みをしている姿で、でもそれはここだけの話、すごく楽しそうに映る。

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新しい町

急に決まった立ち退きから慌ただしい二ヶ月が過ぎて、やっと新しい町に引っ越してきた。散々迷ったあげくに、今度は一人で事務所を借りた。この年になるまで賃貸契約を一度も結んだことのなかった僕は、引越の手間と飛んでゆくお金に目を白黒とさせながら電話を引いたり電気とガスを契約したり冷蔵庫を買ったり不動産屋と家賃の交渉をしたりして、その間中ずっと頭の中を過ぎっていたのは、映画「魔女の宅急便」で主人公キキが一人暮らしをはじめたときに、鍋釜をそろえながらがま口をのぞき込んで独りごちる「暮らすって物入りねー」という台詞だった。キキが一人暮らしを始めたのは十四歳、僕との間には二十歳もの隔たりがあるということにはなるべく気がつかないようにしながら、金物屋で、かっぱ橋で、ホームセンターで、楽天をチェックしながら、僕もぼそりと呟いてみる。

 新しい事務所は高台にあって、部屋からの眺めがとてもいい。この町は、なぜだかいつも風呂上がりのような匂いがする。何人かの友達にそう話してみたのだけれど、賛同してくれた人はまだ誰もいない。これからはここで、また絵を描く。

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今宵あなたと

仕事をしてたらご飯時をすっかり逃してしまって、夜の早い浅草近辺で夜九時を回って開いている唯一のお店、ほっかほか弁当で海苔弁を買う事にしたのだけれど、ほっかほか亭では普通の「海苔弁」は白身魚のフライと竹輪の天ぷらがご飯に乗って290円、それにタルタルソースを付けると「海苔タルタル弁当」という別メニュー扱いで20円増しの310円で売られていて、いつもは大抵普通の海苔弁を買うところなのだけれど、その日はちょっと水が向いたというか、タルタル海苔弁当にすることにしたのね。タルタルってこってりしておいしいし、揚げたての白身魚のフライにタルタルソースをかけてがぶりつくなんて、ここのところ毎日事務所に泊まり込んで仕事してる僕にまさにうってつけなんだもの。高タンパク! 高カロリー! やったねパパ、明日もホームランだ! 
 その瞬間から僕の胃袋はすっかりタルタル待ちの状態で、その期待感は勢い余ってご飯まで大盛りでお願いしちゃう程だったのだけれど、やがてお待たせしました! って若い女の店員さん(かわいい)にお弁当を手渡されてお金を払って事務所に戻って、よし今日は特別にインスタントだけどみそ汁も付けちゃおうかなーなんて鼻歌まじりでお湯を沸かしてうきうき気分で弁当のふたを開けたらタルタル入ってneeeeeeeeeeeeeeee! これじゃただの海苔弁じゃん! 内容変わらず20円高い海苔弁大盛りじゃん! ぎゃー! 

 でももうなんだか店まで戻る気力もなくて、仕方なくその辺にあった醤油とマヨネーズをかけて食べたんだけど、なんかね、ここのところパソコンのHDが死んじゃったり事務所立ち退きが決定したりプレゼン落ちたり、その他にも諸々ここにも書けない事も含めてなにかとツイてないことが多かったのだけれど、個人的にはこの海苔弁にタルタルソースが入っていなかったと言う些細な、ほんとうにちっぽけな事件がそのどれよりもなによりも一番精神的に堪えたような気がするよ。人生って奥深いなー。醤油をかけた白身魚のフライは、なんだかやっぱり少し物足りなく思えました。

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どうしても

いつも通りに電車に乗って事務所に来て、日の光を入れる為に通りに面したシャッターを開ける。今日もいい天気。仕事は割と立て込んでいて、今週もあっと言う間にすぎてしまいそう。メールをチェックして一通り返事を書いてから、お湯を沸かしてカップヌードルを食べる。それが昼食。カップヌードルの容器が、紙の容器に変わっていた。それから用事を済ませようと何本か電話をしたのだけれど誰からも応答がなくて、おかしいなと訝ったところではたと今日が祝日だと思い至る。そうか、世間はもうゴールデン・ウィークなのか。気がつかなかったな。そんなものはもっとずっと先の事だとばかり思い込んでいたけれど。
 黄金色にキラキラと輝く五月休み。でも僕はといえば休み明けまでに三枚の絵を仕上げなくてはならないから、たぶん毎日事務所に来ることになるだろう。そんなことを考えたらなんだか急にやる気が失せてしまって、ネットをしたり本を読んだり、絵も描かずに時間を弄んでいるうちにやがて抗いがたい強烈な睡魔に襲われてつい机に俯せてうとうとしてしまったのだけれど、変な姿勢で寝たからだろうか、突然雨が降りだしたり、事務所にいたと思ったら次の瞬間には西荻窪にいたり、友達がどこからともなく現れては話しかけてくる、そんな断片的な夢には奇妙な現実感が伴っていて、夢のような夢じゃないような淡いの中で、現実と妄想が水彩絵の具のように混じり合って不思議な滲みを形作るその戯れを、僕は夢の中でそれを夢と知りながら長い間ぼんやりと眺めていた。

 目を覚ますと、もう日が傾いていた。どのくらい寝てしまったのだろう。寝ている途中夢を見ながら、その意識の外で何回も携帯電話のメールの着信音を聞いたような気がして鞄から取り出してみたのだけれど、メールなんて一本も届いていなかった。

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浅草タウンガイド

つい取り乱しました。

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事務所に行く途中に擦れ違った二人組は、一人は気のよさそうなおじいちゃん、もう一人はまだ二十代前半と思しき若者で、二人とも抱えきれないほどの荷物を両手に抱えて歩いていたのだけれど、「実は俺、最近十分くらいだけど毎日病院に行ってるんだよねー」と話すおじいちゃんに、若者が「えっ、それってリアルっすか」と応えていて、そうか、リアルかと思う。あれもリアルならこれもリアル。でも、リアルっていったいなんだろうね。

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帰ってくるなといったのに

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/entertainment/morning_musume/?1207478196

かっかかかかかかっかっかっかっかなんか草津の一件の説明はかなり苦しいような気もするけど一万字インタビューが携帯サイトで明日から公開だっていうから とりあえず携帯買ってくる!(僕の携帯はしょぼいのでメールしか見れないのです)トテチテタ!

全米が泣いた…。がんばれよ。

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ゆるがないもの

昨日の僕ができたことを、今日の僕ができるとは限らない。
昨日の僕が知っていたことを、今日の僕が知っているとも限らない。

 銀座線で、上野駅から乗り込んできた小学校高学年とおぼしき10人の女の子たちの服装が、みんなほんとうに雑誌から抜け出してきたように画一的にかわいくて、それがとても不気味に映った。

            ★ ★ ★

 

 また忙しさがやってきて、桜、桜と騒ぎ立てるテレビを横目に事務所に籠もる日々。そういえばこの間、混み合った小田急線に後ろから押し出されるように乗り込んだ時のこと。なんとか通路側にスペースを見つけて立ったまま本を読んでいると、近くのカップルが「顔、だいじょうぶ?」「化粧がとれちゃった」「ぶつかるのは仕方がないとしても謝らないのが信じられないよね」とわりと大きな声で話していて、どうも乗り込んできた誰かに顔をぶつけられたらしい。僕はそんな二人の話しぶりを大して気にも留めずそのまま新宿に出て、いつものように大江戸線に乗り換えたのだけれど、ふと見ると、あの女の人のファンデーションだろうか、僕の黒いパーカーの左肩が白くなっているのに気が付いて、そうか、あれはもしかして僕に向けられた言葉だったのかと腑に落ちた。ごめんなさい、悪かった。気が付かなかったんだ。でもいまさらそんなことを思っても言葉は空しく中に浮いたままで、何度叩いても綺麗に落ちない左肩の白く呆けたファンデーションと一緒に、その日一日中呪いのように、僕の肩にまとわりついていた。

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三寒四温、舌先三寸

このあいだマクドナルドでハンバーガーを食べているときに、トレーに敷かれた紙に広告として「マクドナルドのポテトは太陽降り注ぐアイダホの自社工場ですくすく育っています」みたいなキャッチコピーと、原材料に対する拘りのようなものが列挙されていた。マクドナルドも大変だなー。必死さが伝わってくるような広告だった。色々噂されてるし、暴露本とかも出て、そんなイメージを払拭しようと躍起なんだろう。でも、いくら声高に宣伝したってマクドナルドが身体にいいと信じる人なんて、残念ながらやっぱり誰もいないんじゃないだろうか。「やっべー、マックって安全でヘルシー!」といいつつビックマックを頬張っている人を想像するのは、ちょっと難しい。というか、もう冗談にしか見えないよね。むしろ胡散臭さを助長するだけなのではないかと思う。それよりむしろ、ここはいっそのことどーんと開き直って、「身体に悪いけど、うまいよ?」みたいなキャッチコピーを展開したらどうだろう。もしかしたら、その方がお客もすっと割り切れるんじゃないかしら。そうだよなー、身体にあんまり良くないけどたまに食べるとうまいんだよねー、とかさ。企業的にも、正直感が滲み出て、好感度が揚がるような気がするんだけどな。だめかしら。

 忙しいのを抜けたら、突然暇。最近のおすすめは、ドリトスの「こってりマヨネーズ味」です。僕、いろんな意味でだいじょうぶかしら。

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溶かないで

忙殺された日々を抜けて、飲み屋へと向かう。時刻は夜六時半を回ったところで、まだ昼間の火照りを僅かに残したまま、浅草にも夜の帳が下りる。浅草の夜はとても早く訪れる。日中に比べれば驚くほど人通りが少なくなり、商店が軒並み閉まる夜の浅草は、どこか後ろ暗さを伴って、まるで父親の背中を見るような、そんな気分にもなる。雷門通りに、新しくカラオケ館が出来ていた。周囲に比べて暴力的に明るいその前を、身を隠すように眉を顰めて通り過ぎる。雷門を超え、信号を超えると吾妻橋に出る。事務所からわりと近いのに、隅田川にはあまり来ない。川の手前は台東区、反対側は墨田区。その間に掛かる吾妻橋はせいぜい五百メートルくらいの橋なのだけれど、それでも橋の中腹までくるとどこからも少し距離が出来て、音と空気が変わるのがわかる。向こうの鉄橋を電車が渡っていく。ジョギングをしている人たちとすれ違う。ここにちょくちょく足を運んだら、きっと気分がいいだろう。でも、やっぱりきっとあまり来ないだろうな。水面はとても黒くうねっていて、立ち止まってぼんやりと川面を眺めていると、その黒いうねりが僕の身体の中にまで染み込んでくる様な錯覚を覚えて、少しゾッとする。

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ザ・ドリフターズ

 マンガを読んではネットを見て、ネットを見たと思ったら絵を描いて、でもやっぱり諦めてまたマンガを見る。そんなどこにも出られない輪の中を、ここのところずっと徘徊している。ゲームはやる気にならないし、本も頭に入らない。テレビは食べることと買うことばかりだし、二月末までに仕上げなければならない大きな絵は、手つかずのまま放りだしてある。我ながら毎日なにをして過ごしているんだろうと訝るけれど、とにかく毎日、飯時になれば腹が減るし、時間はあっと言う間に過ぎてゆく。どこに行っても何かが気に入らないし、何をやっても追いつくことがない。ただ焦りと不安と後悔だけが、澱のように蓄積されてゆく。何をするにもあらゆる概念がそれぞれにもっともらしい言説を並べ立てて、結局なにも選ぶことなんて出来ないままに、ただ自分だけが景色の中をスライドしてゆく、そんな感覚だけがある。

 先週は岡山にいた。その日、僕たちは瀬戸内の小さな島をいくつか訪ねることにして連絡船に乗り込んだ。連絡船と言っても五十人も乗ったら沈んでしまうような小さな船だ。乗客のほとんどは地元の老人ばかりで、野菜や買い物袋をぶら下げて船に乗り込むと、誰もが船室にそそくさと籠もってしまう。デッキに出ているのは、僕たちだけだ。風は冷たいけれど、空は穏やかに晴れていて、気分はいい。やがて出発時刻が来て、騒々しいエンジン音を轟かせて汽笛を揚げる。船が岸を離れると、あっと言う間に本州は視界から遠ざかって、船は瀬戸内の穏やかな海面を島に向かって滑るように走ってゆく。僕は一人で船尾から景色を見ていたのだけれど、視点は低くて、考えようによってはまるで僕を乗せた板が海面を、それこそスライドしていくようにも例えられなくはなかった。それはまるで歩かずに歩くこと、動かずに動くこと、そんな思考そのものが具現化したもののようで、行き先も現在位置もわからない、そんなどこでもない場所の真ん中で、動くことも選ぶこともなくただひたすらにドリフトしてゆく、そんな観念の場所が現実の場所と重なって眼前に啓けているようで、なかなかどうして、ちょっとしたものだった。出来ることなんて、せいぜい転がり落ちないように必死にバランスを保つことくらいなんだろう。結局のところいつだって、僕たちは選択なんてなにも出来ない。

 帰りの船に乗り込む時に、桟橋で生花を一つ拾った。誰かが持ち込んだ花束から、頭だけ一つ落ちたに違いないその黄色い花を拾って、やがて走り出した船の船尾から安い昼ドラマみたいに海に投げ入れてみた。なんとなく綺麗に弧を描いて海に落ちる姿を想像していた小さい生花は、しかし実際に放り投げてみればディーゼルエンジンの排気と強い海風になすすべもなく煽られて、弧を描くこともセンチメンタリズムを駆り立てることもなく、ただへらへらと力なく航跡に落ちて、すぐにどこに落ちたかもわからなくなってしまった。

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センチネル

「これ撮影で使ったんだけど、いらないからあげるわ」とスタイリストの友達から渡された伊達眼鏡をかけて、伸びた前髪が目に入って邪魔だから、なんて聞こえの良さそうな言い訳を一つ二つ用意して雑踏へと踏み出せば、何を見ても、どこに行っても僕は一人プラスチックのレンズの向こう側にいて、あっち側と隔てられたそこはどこか安心で、でもなにか寂しい。銀座線に乗って他の乗客を眺めながら、ふと、僕は誰かがこの伊達眼鏡を見破るのではないかという想いに囚われて、思わず辺りを見回してしまう。
 対角線上の座席に座った乗客の一人が、違和を敏感に察知するようにふと顔をこちらに向けて、僕の眼鏡を捉える。くたびれたグレーのスーツに、トレンチコート。手には日刊ゲンダイを持っている。四十歳くらいだろうか。男は思い直したように一度新聞に目を戻してから、もう一度確かめるようにちらりと僕に視線を向ける。その瞬間、視線と視線がぶつかりあって、僕は慌てて目をそらす。やっぱり。男は確信を得たように不敵な笑みを口元に浮かべ、すくりと静かに立ち上がると、勝ち誇ったように僕を指さして他の乗客に呼びかける。「こいつ、伊達眼鏡だ! みなさん、こいつは伊達眼鏡ですよ!」

 はっと顔を上げると、暗い窓に映る眼鏡をかけた自分の姿が目に入る。プラスチックの度の入っていないレンズは、心なしかまわりの人々の眼鏡よりも光を多く反射しているように見える。想像で硬く汗が滲んだ両手の平を緩めながら、上手く言えないのだけれど、僕はいっそそんな風に誰かに自分を暴かれたい衝動に駆られていた。特に何をしたと云うこともない。思い当たる節もない。ただ訳もなく断罪されて涙を流して床にひれ伏し、だれかに、あるいはなにかに心の底から懺悔し、赦しを請うことができたならどんなにか素晴らしいだろう、そんなことを考えていた。

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小さな手

年末の28日に帰国して、それからは年の瀬も正月もなくずっと絵を描く生活。久しぶりの日本は相変わらず情報と商品が過剰で目障りでなんだかくらくらしてしまうけれど、それにしても日本の女の子はみんなちいさくてかわいいのでもうなんでもいいやという気分にもなる。帰国してまだ一週間ほどしか経たないのに、あの耳が避けるような冷たさも、建物に響くピアノの調べもみんなまるで遠い昔の出来事のように思えてならず、気が付けば再び事務所と自宅の往復という日常の中にすっぽりと、まるであの三ヶ月がなかったかのように埋没してしまっている。でも、まぁそれはそれでいいのかもしれない。今年はずっと日本にいる予定。同じ言語を話すからといって、意思の疎通が図れるわけではないという事実に半ば愕然としながらも、せいぜいこの場所で手紙を書き続けようと思う。

そういえば、一つお知らせ。竹尾紙業さんからのご依頼で、2008年のカレンダーに絵を描きました。神保町、青山、大阪にある見本帖店舗にてもう発売になっているとおもうので、よかったら使ってください。たしか一つ300円前後とお手頃な価格だったと思います。ちょっとweb上で僕の作品見本画像が見つからないのだけれど、形やレイアウトは同じなので見本としてこれを置いておきますね。

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聖夜の前に

ウィーンに来てからというもの、毎日ほぼ外にも出ずに、友達の家に引きこもっている。今日も一日、スーパーで買い物した以外はどこにも出掛けなかった。日本から持ってきた残り僅かの文庫を読んで、浴槽に湯を貯めて長めに入り、冷蔵庫の中のものであり合わせの食事を作って食べた。友人は一日外出。ウィーンの気候に甘えるかのように気が塞いでゆく。窓の外に見える煙突からは、ときどき白い煙が上がる。食器を洗う。床を掃く。湯を沸かして、紅茶を入れる。牛乳と、砂糖をたくさん。洗面所の水道の蛇口から、水がぴたぴたと落ち続けている。二年前にここに来たときもたしか落ちていた。二年。スーパーの帰りに寄ったケバブ屋の男は、なにか得体の知れないものを見るような目で僕を見た。遠くでどーんという音がする。もう一回。しばらく間をおいてもう一回。あれは、いったいなんの音だろうか。

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街が視てる

地中海から辿り着いた内陸のウィーンは氷のように寒く深く閉ざされて、夕方4時には日が暮れてしまうこの街では笑い声も溜息に聞こえそう。クリスマスに向けて彩られた電飾や街の喧噪でさえも、どこかからか立ち上がるこの苛立ちと陰鬱を隠しきれずにいる。久しぶりのウィーンは相変わらず何が変わったわけではなく、歩き馴れた道程を二年前と同じような服装で歩き回れば一瞬時間が戻ったような不思議な感覚に囚われて、でもあの頃の僕と今の僕が同じではないことも、本当は痛いほどよくわかっている。ああ、どんどん時が過ぎて移り変わって、抗えず揉みし抱かれる僕を嘲笑うかのように、ここにはただ石の街だけがある。

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リスボン通信。

スイスのレジデンスを終えて、いまはリスボンにいる。二月も内陸のスイスに滞在したのちに辿り着いた港町を、六カ国語会話帳を片手に何をみるでもなくぼんやりと歩いている。大学時代に三年間も勉強したスペイン語は殆ど忘れてしまっていて、音だけは耳慣れた単語の微かな記憶を辿りながら、でも九割は山勘で頼んだ食事に毎度泣いたり笑ったりしながら、それでもまぁそれなりに楽しくやっている。
 リスボンはスイスに比べれば格段に暖かく、格段に物価が安い。家々の壁にはイスラム圏のような大判のタイル装飾が施されている。以前装画を担当した吉田修一氏の小説「7月24日通り」は、ある長崎に住む女の子が自分の住む町とリスボンが似ていることに気が付いて、以来頭の中で長崎の通りや公園をリスボンの通りや広場に密かに当てはめながら現実の中の架空を生きるという内容だったけれど、なるほどこの坂道の多い古い町並は、確かに長崎やジェノバを偲ばせて、題名にもなった「7月24日通り」に出掛けてみると、海沿いをはしる伸びやかなその通りではちょうど市民マラソンが開催されていて、交通規制された道をぶらぶら歩く僕を、たくさんのランナーが追い越してゆく。
 スイスでのレジデンスの最後日に、みんなでボーリングに出掛けた。五人乗りの車に七人も乗り込んで出掛けた町はずれにある唯一と云ってもいい娯楽施設は、週末のせいもあってかこの小さな町のどこにこんなに人がいるのかと思うほどの賑わいで、ブラック・ライトに照らされたレーンと流れるテクノ、ビデオゲームと人々の喧噪に一瞬ここがどこであるか判らなくなってしまう。ビールが飲みたかったけれど、運転手だからコーラを飲んだ。蛍光色に浮かび上がったボールが吸い込まれるようにピンをなぎ倒す。そういう勢いみたいなものから、ずいぶん遠ざかっていたように思えた。

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埠頭

諦めの付かないことばかりを、遠くから想い出している。

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ハロー・グッバイ

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風に訊く

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