謹賀新年

 もうすっかり新年も開けてしまったけれど、今年もよろしくお願いします。よく考えたら、今年でこの仕事をはじめてちょうど十年なのでした。正月二日の夜、ぼんやりとテレビを見ながらふとそのことに思い至って、会社帰りの歩道橋の上でチョイス大賞の着信を受けた、あれから十年。我ながらこんなマイペースな仕事の仕方でよくここまでやってこれたと思うのだけれど、それもこれも全て、迷惑を掛けたり、助けてもらったりした皆さんのおかげです。本当にどうもありがとうございます。これからも精々精進しますので、あたたかく見守っていただければと思います。 はたして十年前の自分はいったいどんなことを考えていたのかとふと思い立って、古いサイトに書いていた日記のデータを読み返してみたのだけれど、あまりの自分の幼さに新年早々激しく落ち込むだけだったのでした。きっと今も大して変わっていないに違いない。いくら本を読んでも一向に賢くなる気配がない。それはいったいどういう事なのかと訝りつつ、なにはともあれ、みなさんにとって今年も佳い一年でありますように。

  あ、新春早々宣伝でなんなんですけど、以前「湯道」のイベント用に作った手ぬぐい二種類を、いま岡山市内にあるサテライトさんにて若干数扱っていただいています。お近くの方は、是非立ち寄ってみてください。それから二月には、東京でグループ展に参加します。詳細は、近々また追ってお知らせします。併せてよろしくおねがいします。

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虫眼

 仕事をしていたらふと気配を感じて、すっと視線をずらすと机の脇の窓ガラスに小さな虫が飛んでいた。ガラスの向こう側に広がる外の世界に飛んで行こうと体当たりをかますのだけれど、窓ガラスに阻まれて跳ね返されてしまう。それでもしつこく、何度も体当たりを繰り返す。そんな姿を、じっと見ていた。あと30センチほどでも右にずれれば窓は開いているのに、虫には窓ガラスが見えない。それを愚鈍と嘲笑うのは簡単なことだけれど、でももしかしたら僕たちにもそんな、虫にとってのガラスのようなものが存在するのではないかと、ふと思う。僕たちには見ることのできない、しかし向こう側へと進むことを頑なに拒む、視認できないなにか、そんなようなものが。

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冬至

 木槌とガンタッカーを両手に持って、キャンバスを貼る。片手に持ったペンチのようなもので画布を引っぱりながら、もう片方の手で大きなホチキスを打つ。引っぱっている部分の両端にしか打てないから、一度に二発。それからガンタッカーというホチキスを打つ機械を床に置いて、すこしずらしたところをペンチで摘み、また画布をきつく引っぱる。そしてまた二発。ばつん、ばつん、それからガンタッカーを床に置くごとんという音。ばつん、ばつん、ごとん。ばつん、ばつん、ごとん。そのリズムの揺らめきに身も思考もゆだねるように動くうちに、部屋が少しづつ、大小さまざまな白い四角で埋め尽くされてゆく。まるで冬ごもりの準備のようだ。やがてだんだんと暖かくなり、白い四角が様々な色で覆われる頃に、また地上に戻ってくる。それまではまた、再び暗いトンネルの中にいる。

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屋根より

 そのうち梯子を手配して自分でやるから放っておけばいいとあれほど口酸っぱく親に言付けておいたのに、いつのまにか勝手に電気屋を呼んで地デジのアンテナ交換に三万円もぼったくられたその腹立たしさ(といっても別に僕が払った訳じゃないのだけれどくやしいものはくやしいのだ)といったらなかったのだけれど、そんな喧々諤々のあとでいざ地デジを視聴してみるとMXだけ映りが悪いという微妙な仕上がりで、これでは「5時に夢中」も「どうでしょう」の再放送も「宝島」も「もじゃ公」もみられないじゃないか。正確には観られることは観られるのだけれど、時々ノイズが酷くなって視聴できない状態になったりするので、これはやはり電気屋に文句を言ってもう一度屋根に登ってもらうべきかとも思ったのだけれど、正直そのやりとりを考えただけで面倒くさくなって、以来自分で屋根に登ってアンテナ調整をする機会を窺っていたのだった。そして、はたしてその契機は意外と早くやってきた。家の屋根を塗り直しにペンキ屋がやってくるという。

 梯子をかけたペンキ屋さんにお願いして、おっかなびっくり屋根の上に登る。我が家は通りに面した前半分が平屋、後ろ半分が二階建てという造りになっていて、つまり地面から一階の屋根、そこから二階の屋根へと、二回にわけて梯子と脚立を登らねばならない。平屋側の屋根は中学生の頃、この家を建て替えている最中によく友達と塀伝いに登ってジュースを飲んだりしていたのだけれど、二階の上の屋根にはまだ登ったことがなかった。二十年以上も暮らしている家なのにまだ行ったことがない場所があるというのは、いささか感慨深いものがある。
 たった4、5m、一階分視線が上がっただけなのに、思ったよりもずいぶんと遠くまで見える。気持ちのいい太陽の光を受けて、遠くのビルの窓が反射している。見知った街並みの、知らない景色。何件かの同級生の家、公団のあとに新しくできた建て売り住宅の群れ、電信柱の点検作業をしている人。自分の通った小・中学校も、隣の小・中学校も見える。こうしてみると改めて、自分の家が学校に囲まれていることに気づかされる。隣の家の壁しか見えない家の中では見ることの出来ない様々なことが拓かれた視界に飛び込んできて、なんだか解脱でもしたような気分になる。アニメ「母を訪ねて三千里」の「屋根の上の小さな海」の回みたいだ。さすがにここから海は見えないけれど。
 自分のことも、これくらい拓けて見渡せればいいのに。でもそうしたら、目にするもののあまりの愚かしさに身を投げたくなったりするのだろうか。

 アンテナを少し高い場所に取り付け直し、アンテナの馬を固定する針金の補助支線をとりつける。作業自体は十分もかからない単純なものだ。こんなことに三万円も払うなんて、と過ぎた怒りが蘇る。ほとんど屋根の登り賃みたいなものじゃないか。馬鹿馬鹿しい。そう思いながら、しかしこの場所は確かに、二十数年間一度も訪れたことがないという意味では、ニューヨークよりもウィーンよりも遠い場所なのかもしれない。
 ペンキ屋のおじさんは、屋根の上をひょいひょいとまるで床みたいに歩く。そういう僕は、完全に腰が引けている。
「こういう所で働くの、きもちいいですね」というと
「夏場は大変だよ。三十分もいられないよ」という。
そんなことに思いも及ばず、我が家でも一度夏場にお願いして「秋になったら」と言われたことがあったので、
「だから夏場はやらないんですね」というと、
「まぁ、全部が全部そうできたらいいんだけどなあ」といって、おじさんは笑った。

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赤く錆びた釘

 2010年4月29日、朝。目が覚めて、僕はまるでページを繰るみたいに夢の中で見たくだらないできごとを忘れると同時に、記憶の澱の中に溜まったまま深いところに沈んでいたなつかしい風景を、驚くほど鮮明に思い出した。いままでどうして忘れていたのかわからない。それくらい自分の来歴をはっきりと示すような、そんな出来事を。


 その日見た夢の中では笑っていいともが流れていて、タモリがネズミのかぶり物を着て司会をしていた。テレフォンショッキングのゲストはヒッピーみたいな長髪をした志村ケンで、夢の中でもどうしようもないモンチッチの寒い芸に冷たい視線を投げかけていた。観客の笑い声だけが、虚しく画面から響く。やがて映像が切り替わって、どこかの海辺を映している。よく晴れていて、波の音が辺りをつつみ、暖かく、ホワイトバランスが狂ったように、世界は真っ白に輝いている。砂浜に、だれかが気持ちよさそうに寝そべっているのが見える。カメラがその人にぐーっとズームするとそれは上島竜平で、鼻にシンクロ用の鼻栓をして、ずぶ濡れになって仰向けになっている。彼はカメラに向かって、縋るようにこう訴える。「用が済んだらどうせ俺みたいに捨てちまうんだろ! ふざけるな!」目からは涙があふれ出ている。映し出される彼のアップ。その後ろでは、海面が眩しく、キラキラと輝いている。
 しばらく布団の中でうずくまったまま、いま見たばかりの夢の感触を転がしていた。どうしてそんな夢を見たのか、見当もつかない。どう考えても意味のない、馬鹿馬鹿しい夢だった。時計を見ると、もういい時間だ。今日は新宿に行かなくてはならない。僕は服を着替えて歯を磨き、支度を整え、玄関のドアを開けた。その時だった。   
 なにかに強く弾かれたように、頭の中に一つの光景が広がった。幼稚園の帰り道にあった公園の遊び場を、子供の頃の僕が歩いている。そこは、ツリー・ハウスやアスレチックがあって、当時としてはかなり実験的だったに違いない、どろんこになって遊び回れるように作られた公園だった。タイヤに結ばれたロープの先に滑車がついていて、斜面を滑り降る一番人気の遊具に群がる大勢の子供たちが興奮して歓声を上げる中、なにかを拒絶するようにその脇をうつむいて歩いている。そうして比較的人気のない緩やかな傾斜地に場所を陣取ると、シャベルや手を使って一人黙々と土を掘り起こしてゆく。土は湿っていて、黒い。掘を作り、ダムを造り、畦を作り灌漑を作る。そして余った土でその周囲に山を作ってゆく。トンネルを掘り、そうしてあらかたできあがった渓谷に、どこからかホースを引っぱってきて、一番高い場所から勢いよく水を流してゆく。その光の反射と、水の音。遠くで聞こえる子供たちの声。母親は、向こうで同級生の母親と世間話をしている。僕は背中でその気配を感じている。ホースから溢れ出す水に手を差し入れると、ひやりとする。なにもかもが、今ここで実際に起こっているかのように生々しかった。手元には、以前どこかで偶然拾って以来とてもお気に入りだった、シャンパン・ゴールドのムスタングⅡのミニカーが見える。いや、もしかしたらこの時にここで見つけたのだったか。そうして僕は、やがて水流が畦を浸しダムを決壊させ山を切り崩し、全ての境界が曖昧に混ざり合う様を、ただじっと、夢中になって眺めていた。ホースから流れ出す水が太陽の光できらきらと輝く。その光の乱反射が、夢の中で泣いていた上島竜平の背景の、あの水の輝きと全く同じだということに気がついて、はっと息を呑む。そして僕はどういうわけか、ああ、もうあの時から、なにもかも既にわかっていたんだと思った。自分の内に常に棲み続けるこの言葉に出来ない爛れのような感覚を、あの頃の自分はもう既に抱いていたのだった。
 それはほんとうに、一瞬の出来事だった。その光景はものすごい早さで脳みその中を駆け巡って、再び現実に戻った僕は、なにもなかったかのように玄関の鍵をかけ、駅へ向かって歩き出した。時間にすればほんの数秒程度の事だったのかもしれない。だけどその一瞬だけ僕は、玄関前の細い路地の真ん中から時を飛び越えて、あのときの、公園のアスレチック・パークのあの場所に、確かに立っていたのだった。

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向こう岸にて。

 しばらく更新しないうちに、文章の書き方をすっかり忘れてしまったような気がする。こういうのは、やっぱりこまめに継続しないとダメなんだろうな。自分がバカだってバレるのが恐くてなにも書かないうちに、なにも書けなくなる。裸にされるから言葉は難しい。裸にされるのが恐いくせにどうして文章を書こうとするのか、そのへんは自分でもよくわからないけれど、なんにせよ文章を書く事は自分にとって年を追う事にどんどんと難しくなっているような気がする。裸にされた挙げ句に掬ってみたら手のひらになにも残らないようなその難しさに比べたら、絵を描く方がずっと楽かもしれない。
少なくとも言葉にしなくて済む。
 あの地震以来、ここになってやっとまた家の近所を走り始めた。去年の十月くらいから週に三、四回家の近所を五キロくらい、東京マラソンに向けて週に三回、五キロくらい走っていた。走るようになってから体重は落ちるし肩こりは和らぐし、制作ばかりで家に籠もりがちな中でいい気分転換になったこともあって、そのうち楽しくなって本番後もちょこちょこ走り続けようと思っていた矢先の、あの震災だった。手元の記録によれば2月27日の本番以降も週二回くらいの割合で走っていたけれど、3月8日に6キロ走ったのを最後に、ぱったりと走るのをやめている。
 あれから季節はぐるりとめぐり、数ヶ月ぶりに走り出してはみたものの、やはり以前のような体の軽さはなくなって、なにかを引きずっているような違和感と共に体を動かすと、1キロ程でもう息が上がってしまった。ラン用に揃えたウェアは全て冬物だったから、結局普通のTシャツと短パンで走った。通り過ぎるコースの脇で、あの頃はまだ閉まっていたビア・ガーデンが営業を始めていて、店の前には大量の酔っぱらいと、客待ちのタクシーの長い列が連なっていた。なにもかもが変わったあとの世界で、端から見れば何も変わらないかのように振る舞う、変わる前と同じ暮らしを送ることしかできない人々が、そこにはいた。こうして走っている僕も含めて。
 あの岡崎京子が定義した『平坦な戦場』から、ここが僕らが辿り着いた場所。川の辺にいた僕たちは、河を越えた。


 Tシャツが汗でぐしょぐしょになって、結局4キロ弱走ったところで気力が尽きる。とぼとぼと歩きながら、ふと、脇の街路樹のところはやっぱり線量が高いのかと普通に考えている自分にすこし驚く。不安はどんどん頭の中で大きくなっていく。その不安に弄ばれるままに忌避するのではなく、かといって実際に起こったことを無視するのでもなく、向き合って共に暮らす、そういう選択肢を、少なくとも僕はあの地震以来ずっと探し求めている。

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結末のないはなし。

 ここのところずっと、わりと分厚い上下巻の本を読んでいた。古本屋で買った、昭和51年に発行された本だった。3、4日かけて読み進め、残りもあと数十頁となったところで時計を見ると深夜十二時をまわったところで、なんとなくこれを読み終わったら寝ようと決めて読み進めていたのだけれど、終わりまであと数頁というところで、なんだか作者が前に書いていたことを繰り返しているような気がして、まあ今までもわりと同じ事を語るような所があったからな、と思っていたんだけれど、それにしてもいつまでたっても終わる目処がみえない。どうも様子がおかしい。そう思ってふとノンブル(頁番号)を見ると、352頁からいきなり113頁に飛んでいて、8頁先で128頁から359頁のあとがきの途中に戻っていて、要するに最後の結末の部分がまるまる違う頁に挿し変わっているのを発見して、思わず深夜に一人椅子から立ち上がって「これ乱丁じゃん!」って叫んでしまったのだけれど、古本だし昔の本だしどうすることも出来ず、かといってここまで読み進めた以上結末は気になるし、これ、同じ本をもう一冊買えってことなのかなあと途方に暮れた。    
 その話を知人にすると、そういえばよしもとよしともさんの小説にそんなのがあった、と教えてもらった。「西荻タワー」という話で、読んでみると小説の中の主人公がヴォガネットの「スローターハウス5」を読んでいる途中でやはり頁が狂ってることに気がついて、大学構内の芝生の中心で同じように「乱丁じゃん!」って叫んでいて思わず笑ってしまったのだけれど、
面白いと思ったのは、現実に自分の身に起こった乱丁は物語の最後の結末部分で、よしもとさんの書いた物語の中での乱丁は物語の途中で起こったっていう事で、もちろん著者としてはそんなことを考えて意識的に乱丁の位置を決めたわけじゃなく、偶々だと思うけど、物語の結末が乱丁で読めないという状況は多分に漫画的で、故に物語としてそれを書こうとしたら出来すぎた話になってしまうんじゃないかなあ、と、ふと思った。
 絵でも同じ様なことはある。街を歩いているとけっこうありえない形をした建物や風景に出会うことがあって、すごくグッとくるのだけれど、その度にああ、これは絵にすると嘘っぽくなるから描けないなあ、なんて思ったりする。あまりに奇抜な建物や綺麗な風景を絵にすると、それが現実に存在するにも関わらず、なぜか安っぽくて嘘っぽいものになってしまって、絵としては成立しなくなってしまう。どうやら僕たちは様々な物事に対して漠然としたイメージみたいなものを頭の中に持っていて、そこから極端に外れるものを「ありえない」といって受け入れられない性質みたいなものを持っているように思う。現実に裏付けられた写真ならまだしも、絵や小説のように基本なにもないところから作る創作物の場合は、特にその傾向が強い。「現実」と「現実的」は違うのだ。よしもとさんの小説を読んだときに思ったのはこれに近いもので、現実に起こったそれは小説的すぎるが故に、小説としてはリアリティを欠いてしまうのかもしれない。それって結構不思議な話だと思う。そして僕は、そういう非現実的で漫画的な現実にわりとよくぶち当たる。どうしてなのかは、よくわからないけれど。

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ウェディング・ベル

 変な時間に寝たら変な時間に起きた。京都にいる夢を見た。ホテルを延泊しなくちゃいけないのにまだ申請してなくて、カウンターに赴くとお姉さんが頼んでもいないのに今回は特別ですよと宿泊料金を二割も安くしてくれて、おまけに食事のアップグレードまでつけてくれた。どうしてそんな事までしてくれるんだろうと訝って、もしかして自分に気でもあるんじゃないかとカウンター越しにちらりとその子の顔を盗み見ると、つまらなそうな、まるで仕事に殺されそうな表情を浮かべていた。
 だいたいが自分に甘すぎるんだ、僕は。夢の中でさえ。
 夢の中で、僕は数日後に京都で執り行われる誰かの結婚式に出席することになっていた。ところで誰の結婚式なんだっけ? ふとそう考えたら、誰かにベッドから乱暴に引きずり下ろされるように目が覚めてしまった。でも目覚めたあとで思ったのだけれど、それが誰の結婚式だったのか、本当はよくわかっていたような気がする。

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僕の棲む街には、僕の嫌いなものがたくさんある。

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蝉の声

友達を駅まで迎えに行って戻る途中、神社の境内を抜けると、駐車場へと続く道路の真ん中に蝉の抜け殻を見つけた。でも、なにかがおかしいーーそう思ってしゃがみ込んでみると、それは抜け殻ではなく、まだ脱皮する前の蝉の幼虫だった。眼がまだ黒く、かすかに動いている。まるで日サロに通って焼き上げたみたいにつるんとした茶色い体。抜け殻しか見たことがなかった。脱皮する前、地上に出てきたばかりの幼虫を見るのは、初めてのことかも知れない。地上に出て、脱皮を始めるまでにどれくらい時間的猶予があるのだろう。なんとなく、あんまりないようなきがする。それに、蝉はどこか木の幹で脱皮するようなイメージがあったのだけれど、ここは舗装道路の真ん中だ。一番近くの木までだって、蝉にしてみれば相当の距離がある。人に踏まれるかもしれない。そう思って、どこか道の端へ運んであげようかとも思ったのだけれど、幼虫はしかと地面に爪を立てて動かない、無理に剥がせば折れそうで、足下に滑り込ませられるようなヘラ状のなにかなんてもちろん持っていないし、友達は大して興味もなさそうに先に歩いておーいはやくいこうぜなんて言っていて、その時は仕方なくそのままその場を離れてしまったのだけれど、あの幼虫は無事に脱皮できたのか、もう何日も経つのに、ずっと気になっている。

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GOBUSATA

 古い木造建築で比較的涼しいとはいえ、この暑さは堪える。節電云々以前に我が家にはクーラーがなく、(正確に言えばあるのだけれど、とても古い型なのでないと思った方がいろいろと楽なように思う)、日中はダレてほとんど仕事にならないので、気がつけばここのところずっと夜中に仕事をしている。昼前に起き出して、だらだらと一日中絵を描いて、まるでダメな小学生の夏休みの過ごし方みたいだ。怒ってくれる母親もいない。人は羨ましいと言うけれど、自分ではよくわからない。でもやっぱり感謝すべきなのかもしれない。

 夕飯を食べて机に向かい、空が白ける頃に布団に入る。夜中十二時をまわると、毎日決まって涼しい風が南から吹いてくる。冷たくてやさしい風。仕事が捗っていようがいまいが、その風を肌に受けてぼんやりしていると、あっという間に朝になっている。

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オペラシティ

三ヶ月近くあったオペラシティの展示も無事終了しました。お世話になった皆さん、お越し頂いた皆さん、どうもありがとうございました。おかげさまで実り多い展示となりました。またこつこつと描き溜めて、どこかでお見せできる機会を楽しみにしています。

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Nothingcansay

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新宿から霞ヶ関まで、日曜日に。

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新宿の大ガードをくぐって東口の方に抜けた瞬間にばっと視界が開けて、大勢の人たちとまだ人気のないビル群の中で、わけのわからない高揚感に襲われた。

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展覧会のお知らせ・その二

グループ展のお知らせをしてからまだ二日しか経っていないのだけれど、本サイトに予定がアップされたので、もう個展の詳細もお知らせすることにします。メイン会場はホンマタカシさんの個展で、僕の展示はその上の階でやります。今よかったら見にきてください。

▼個展

Project N 45 クサナギシンペイ

2011年4月9日[土]~6月26日[日]
会場:東京オペラシティ アートギャラリー 4Fコリドール

開館時間:11:00 ─ 19:00(金・土は11:00 ─ 20:00/入場は閉館30分前まで)

休館日 :月曜日

入場料: 一般1,000円(800円)、大学・高校生 800円(600円)、中学・小学生 600円(400円)
企画展「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー (Takashi Homma : New Documentary)」、収蔵品展「紙の上の競宴」の入場料に含まれます。 収蔵品展入場券200円(各種割引無し)もあり。

※( )内は15名以上の団体料金。その他、閉館の1時間前より半額、65歳以上半額。 ※障害者手帳をお持ちの方および付添1名は無料。割引の併用および入場料の払い戻しは不可。
【問い合わせ先】 東京オペラシティ アートギャラリー TEL : 03-5353-0756 URL : http://www.operacity.jp/ag

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展覧会のお知らせ

すっかり更新から遠ざかっているけれど、元気でやっています。たぶん。

久しぶりの更新がお知らせというのもなんとも心苦しいのだけれど、春に東京で3月にグループ展と、4月に個展をやります。とりあえず、近いほうのグループ展のお知らせから。この展覧会には二点出品します。4月の個展の詳細は、また近くなったらお知らせします。4月の個展はけっこう纏まった数を出す予定なので、よかったら見に来てください。

▼グループ展詳細

現代美術の展望「VOCA展2011 −新しい平面の作家たち−」
http://www.ueno-mori.org/voca/2011/index.html

会場:上野の森美術館
会期:2011年3月14日(月) 〜 3月30日(水) 17日間※会期中無休
時間:10:00 〜 17:00(入場は閉館30分前まで)
   *木・金・土曜日 10:00 〜 18:00
入場料:一般・大学生 ¥500 高校生以下 無料

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謹賀新年

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 (*TзT)彡☆

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2010年12月に。

気がつけばもう年の瀬で、今年もあっという間に過ぎてしまった。しばらくろくに更新できてなくてごめんなさい。最近はと言えば、来年の春にいくつか展示があるので、それに向けていろいろと切磋琢磨しているところ。だからもしかしたら、もうしばらくはこんな過疎が続くかもしれません。全然外に出ない生活を送っていても、いつだってなにかしら書くことはあるのだけれど、なかなか実際に書くまで至らないのは自分でもすこし寂しい。まるで旅先で、旅行ガイドブックの既に訪れた場所の頁をどんどん破り捨てていくみたいだ。

 さっきまで、別な文章を書いていた。その余韻の勢いで、この文章を書いている。絵もギターも文章も、不思議なもので書かなくなると書けなくなるね。その代わり、書き出すと止まらなくなる。今回も、元の調子を取り戻すまでにけっこうな時間がかかった。文章を書くのはとてもむずかしいけれど、とても好きだ。何かについて書こうと思ってキーボードを打ち始めても、気がついたら全然想像もしてなかったようなことを書いている。あの感じ。あの、ある程度の分量の文章が、最後にどういうわけか一つの束としていつのまにかぐっとまとまる不思議な感じ。絵にもそういうところがあるのだけれど、文章の方が、もっとダイナミックにそれが起きるような感覚がある。どうしてかはわからないけれど。

 その文章もあらかた書き上げたから、今年はもうだいたい仕事納めだ。仕事納めと云っても、これからは自分の絵を描くのだけれど。またあの暗く深いトンネルの中に入るのだ。面倒くさいし恐くって、なんだかんだと言い訳をつけては仕事に逃げたりもしていたけれど、そろそろちゃんと向き合わなくちゃいけない。あの闇の中でなにが起きるのか、どこに連れて行かれるのか、楽しみでもある。また展示の詳細は、改めてお知らせします。それではみなさん、少し早いけれど、良いお年を。なんか読み返すともう消してしまうような気がするので、思い切ってこのままアップします。自分には思い切りと開き直りが足りないかも知れないと思う2010年冬。もしかしたら、後日読み返して恥ずかしくなって、すぐになにか文章を書いてあげるかもしれないけれど。

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穴の中とその暗闇について

 少し前に書いた文章だけど、アップします。

 昨日から、ずっと仕事をしながらチリの落盤事故の中継をネットで見ている。いくつかの海外の大手ニュース局がネットで中継を常時配信していたのだけれど、アナウンサーが同じような文言を繰り返してレポートを続けるBBCの中継よりも、特に実況もなく、何台かのカメラを切り替えて現地の状況をライブカメラみたいに淡々と伝えているだけの米abcの中継のほうがずっとよかった。雑音や現地の小さな話し声だけがざわざわと漏れ聞こえてきて、助けられた人の身辺事情や経歴などを物見高に騒ぎ立てるニュースを見ているよりも、ずっと現場が身近で親身に感じられた。誰かがくしゃみをしたり、どこかで電話が鳴って、着信音でそれがiphoneだとわかったり、なにかをささやき合ったり、タバコを吹かしたり。訪れたこともない地球の裏側の別の場所で、誰かがおなじiphoneを触っている。頭では分かっているつもりでもすぐに忘れてしまう、そんな当たり前の事実が身近に立ち上がる。暗闇の中での生活はどんなだったのだろう。僕がお酒を飲んで酔っぱらったり、編集の人と打ち合わせたり、眠っている間にもあの人たちは光のないトンネルの中ですごしていて、しかしこの、何万という人たちが一日の間に生まれたり死んだりしている世界の中で、たった三十二人が遙か遠い他所の場所で生き埋めになったという事件に、どうしてこんなにも世界中の人が惹きつけられるのだろう。その理由をずっとぼんやりと考えている。野次馬的な感情や、物見的な興味を越えたところにある、人間としての存在の奥深いところから揺さぶられるような何かがある。そんな気がしている。

 ここまで書いて、ふと子供の頃のことを思い出した。毎年訪れていた親戚の家に「おれは鉄平」というちばてつやの漫画があった。父の姉妹と父方の祖父が暮らすその家には子供にとって面白いと思えるものはあまりなく、いくつかの漫画(「のたり松太郎」と、「おれは鉄平」と、「火の鳥」があった)ばかりを繰り返し読んでいた。埋蔵金探しに没頭するあまり、家族を捨て家出をした父親に連れられ山中で育った鉄平は野生児そのものだったが、ひょんなことから家族の元に父親と共に帰ることになる。その家は実は由緒ある絵に描いたような裕福なお屋敷で、兄弟はみな名門高校へと通っていた。そうして鉄平もコネを使って同じ学校に入り、巡り会った剣道に邁進する。勉強はさっぱりだったが、山中で鍛えた俊敏性と野生のカンで、剣道ではたちまち頭角を現して、県内の並みいる強豪と戦ってゆく。そんなふうにして、物語はすっかり剣道漫画の様相を呈する。しかし途中、忘れた頃に剣道漫画から一転、学校の裏山でキャンプファイヤーをした火の後始末が元で山火事となり、仲間達まとめて学校を退学となって、また父親と埋蔵金探しの旅に舞い戻ることになる。山の中の生活に戻り、鍾乳洞を掘り進み、そうして遂に埋蔵金を見つけたと思った矢先、落盤事故で生き埋めになるのだ。地上への通路を掘り起こしながら、コウモリを食べ、わき水を飲み、気力を奮い起こして穴を掘るが出口は一向に現れず、そうこうしているうちに気力は尽き頬はこけ体力も枯れ果てて、もう駄目だと思った矢先に出口を探り当てる。どういうわけか、子供の頃の僕は、その一巻分くらいの長さにわたる生き埋めの物語になによりも惹きつけられて、何度も何度も読み返したのだった。

 ついさっき、最後の一人、救助隊員が載ったカプセルが引き上げられていった。どうするのかと思っていた坑道に据え置かれたカメラはそのまま放置され、誰もいなくなった講堂の中を、しばらくの間ずっと映し続けていた。

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行きつ戻りつ

 ここのところはずっと家に籠もって絵を描く日々。何処に出るのか、何処まで続くか分からない暗く長いトンネルの中。苦しいけど楽しい。哀しいけど嬉しい。辞めたいけれど続けたい。相反する意識の中を、小舟に乗って揺られている。いつかどこかに出るはずだけど、今のところはまだなにもわからない。そういえば、去年の今頃もサンフランシスコの展示に向けて絵を描いていたのだった。あれからまだ一年も経っていないなんて、ちょっと信じられないのだけれど。

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