展覧会のお知らせ
サンフランシスコのギャラリーで展覧会がはじまりました。
展覧会の様子は、ギャラリーのサイトからオンラインで見れます。
(ご覧頂くには、メールアドレスの登録が必要です)
Shinpei Kusanagi
All things must pass
September 15 - October 22, 2022
サンフランシスコのギャラリーで展覧会がはじまりました。
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Shinpei Kusanagi
All things must pass
September 15 - October 22, 2022
先週くらいからだろうか。夜寝ていると、換気のために少しだけ開けている窓の外からうっすらと、女の人が咳をしているのが聞こえる。痰の絡む、苦しそうな咳だ。その咳が聞こえ始めてから数日経って、続けて男の人が咳き込むのも聞こえてくるようになった。もしかしたら夫婦でコロナにかかっているのかもしれない。男の人と女の人が、交互に激しい咳をしている。障子を少し開けて窓の外に目を向けても外は真っ暗で、どの家のどの部屋なのかはわからない。わかったところで、僕に出来ることはなにもない。そう言い聞かせて横になって目を閉じて、もしかしたら咳が聞こえる夢を見ているだけなのかもしれないと思いながら、再び夢の中に戻る。
"A View From a Platform"
会期: 2021年12月10日(金)- 2022年1月30日(日)[冬期休廊: 12月25日– 1月1日]
会場: SHOP Taka Ishii Gallery(香港)
*アポイントメント制にて開催。
そうだ、告知忘れてた。
オンラインですがサンフランシスコのギャラリーで展覧会? が始まっています。
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”A view from a platform”
16 June - 17 July 2021
こちらからいけます。
コロナ禍の最中、展示の当てもないのにアトリエに通って日記のように描いていた絵が中心になっています。
もしよろしければご覧下さい。
その人の家や家族、財布や鍵や携帯や、捨てようと思っていたものも大切にしていたものもこっそり隠していたものも、なにもかも全てあるのに、その人だけがいない。それが人が死ぬという事なのかと、この前ふと考えた。
年明け早々、なににあたったのか突然壮絶な下痢と嘔吐に見舞われて、布団の中で蹲り、朦朧とする意識の中で何故かずっと読んだこともない『えんとつ町のプペル』の町の中を彷徨い歩くという謎の屈辱まで味わった。そしてたぶんそれが今年の初夢。
新しい街には、いまひとつ馴染めないまま暮らしています。
サウナに入っていた。
ずいぶん前の話だ。
8人入れば一杯の狭いサウナに、若い、すらりとした長身の美男子が2人、勢いよく入ってきた。2人とも腹筋は綺麗に割れており、顔はとても小さく、もちろんとても整っていた。サウナの中にいた他の客の事など一切気にする様子もなく、ただでさえ暑いサウナの中で彼らはひたすら熱く演劇論を語り合った。あれは脚本が良くなかった。あんな脚本だったら俺はやらなかった。片方が言った。もう片方が、監督も良くない。おれだったらあのシーンであんな指示はしない。と言った。サウナの中にいた他の人たちは皆、そのやりとりにじっと聞き耳を立てていた。そういうことは、なんとなく気配でわかるものだ。しばらく続いた白熱したやりとりのあとで、片方がしみじみと言った。俺も、脚本も監督もスタッフも文句なしに素晴らしい。一度で良いからそんな環境の中で自分の全てを出し切る仕事がしてみたい。なあ、君もそうだろう、そんな環境の中でなら、命をちょっと賭けてみたいとも思うだろう? それは彼の心の底からの告白のように聞こえた。
そこで僕は思わず身を乗り出して、なあ、そもそも「ちょっとだけ」賭けられる命なんてものは存在しないんだぜ、と二人の会話に割り込む自分を想像してみたが、もちろん実際に口にすることはなかった。もう片方がなんと返事をしたのかは、残念ながらもう記憶にない。
引っ越して3ヶ月。まだまだ棚作ったりしてます。
いままで十年間、居間にも寝室にもエアコンのない家で生きてきたので、なんだか家の中が涼しいと変な感じがする。
新しい家には地下室があり、地下室は地下室だけあって夏でもひんやりと涼しい。今年の夏は日中のほとんどをこの地下室で過ごした。毎年八月は決まってほとんど絵を描く気がおきない。それはエアコンがないせいだとばかり思っていたけれど、エアコンがあっても、今年もやっぱり一枚も絵を描かなかった。
お知らせです。
サンフランシスコのギャラリーで、オンライン展覧会がはじまりました。10月末まで、ここから見られます。鑑賞には、メールアドレスの登録が必要です。
こんなご時世だから仕方がないとはいえ、やっぱりオンラインでは味気ない。もっと壁の前で絵の配置や高さにうんうんと悩みたい。ずっとインストールが苦手だと思っていたから、今回そんなふうに思った自分にちょっと驚いた。
ところでオンラインの展覧会は、展覧会歴に含まれるのだろうか。
それから表参道のユトレヒトnow idea にて、2015年にタカイシイギャラリーでの展覧会に併せて作成した画集を販売中です。ありがとうございます。よかったら手に取ってみて下さい。
引っ越して早々に上階から漏水、駐車場も見つからず、ちっとも落ち着かない。
●雑誌『チルチンびと』のweb連載「わたしのセツ物語」に文章をひとつ書きました。
こちらから読めます。
※画像は星先生です。ほんとうです。
十年住んだ家はあっという間に取り壊されて更地になった。引越しから更地になるまで、十日もかからなかった。
家が壊される様子を見に行くか、それとも見ないことで自分の中で存在させ続けるべきか、少し迷ったけれど結局見に行くことにした。重機で半壊する家を眺めていたら、向かいの人が出てきて、「案外ゆっくり壊すものなんだねぇ」と言った。それからも何度か壊される家を見に行った。見に行く度に家は少しずつ形を変えながら小さくなって、やがて1週間も経たずに跡形もなく土だけになった。ロープを潜って、落ちていたトイレのタイルを一枚拾った。綺麗なタイルを選んで拾ったつもりだったのに、家に帰って泥を流すと端が欠けていた。
作業場がまだ壊された家の側にあるので、いまだにわりと頻繁に近くには来る。商店街も作業場も、全てが慣れ親しんだ変わらぬ光景に見えるのに自分の住んでいた家だけがそこから欠落していて、なんだか幽霊になって自分の死後の世界を彷徨っているような、不思議な気分になる。
5月の末で丸十年住んだ家から引っ越して、新しい街に来た。
古い家は取り壊されて、マンションになるという。
とても気に入って住んでいた家だったので、端的に言ってとてもさみしい。 出来れば移築して住みたいくらいだったけれど、でもいろいろと限界だったのかもしれないとも思う。
今年に入ってから公私共々ほんとうにいろいろな事があり、節目感が半端ない。この先になにがあるのか、皆目見当がつかないけれど、それでも願わくば次の十年で、さらにもう少し見晴らしの良い場所にたどり着きたい、とは思う。引っ越した家は四方を壁に囲まれた、見晴らしどころか庭もない家だけれど。
唐突に思いつきで始めた「いろはうたにっき(仮)」は、リサイクルショップで何気なく手に取った、子どものひらがな学習用の積み木を使って
46文字を組み合わせるというだけの単純な遊びだけれど、存外表現の幅が深く、とても絵を描く行為と近いもののように個人的には感じています。
もうしばらく、飽きるまでやります。
しかしひらがなより先に、しばらくはこの荷物の山と格闘しなければならない。
そんなわけで、落ち着くまでの間はしばらく「いろはうたにっき」は不定期になります。
すみません。