崖の上のポニョ
新宿にて鑑賞。これ、いろんな意味ですごい映画でした。宮崎駿恐ろしいよ。ちょー狂ってました。すごい。こんな映画、あの人でなきゃ作れないよ。巷では賛否両 論激しいようですが、僕はとても楽しくみれました。映画はどのシーンを見ても、単純に絵が動くと云うこと自体の楽しさに満ちあふれていて、画面の隅々で動 き回るそれぞれの生き物が、絵の中できちんと生を受けている感じがとてもよかった。画面の隅にワンカットだけ映し出されたタコだって、その前も後も、画面 に映っていなくたってあの世界の中でちゃんと生きているって思える。それって単純にすごいよ。宮崎駿は本当にアニメでなくちゃ出来ないことをやって ると思う。ポニョが海の上を駆けるシークエンスなんて特に、本当に圧巻で、なんだあれ。すごすぎるよ。
前述したこの映画の賛否を分かつのは、そのストーリーの支離滅裂さを受け入れられるかどうかにかかっているように思う。A+B=Cのように物語 は進まずに、ただ暴力的なまでの疾走感とグルーブ感だけで物事は展開して、気がついたらなんの種明かしもないままに物語は終わってしまう。例えば「月がこ れ以上近づくと地球が滅びちゃう!」と男が嘆くのだけれど、なんで月が近づいているのか、どうして月が近づくと地球が滅びるのか、どんなふうに滅びちゃう のか、なにが原因なのか、そんな説明は何一つなされないまま、物語は終わってしまう。そして物語が終わっても、その危機はその後回避されたのか、あれはな んだったのか、そんなことも一切明示はされない。そういうところを受け入れられない人、A+B=Cという明快なルールを映画に求める人は、きっとこの映画 を駄作だというのではないかと思う。
でも、考えてみれば実際に僕たちの生きる現実社会にしたって、現在何が起きているのかを的確に把握し、俯瞰的な視点から状況を把握するというこ とは、およそ不可能なのではないだろうか。誰かが地球温暖化だという。二酸化炭素の排出量のせいだという。でもそれが本当なのかは、誰にも解らない。本当 に二酸化炭素だけのせいなの? そんなに解りやすいわけないんじゃないの? 危機感だって、危機感のない人から見れば、ただの気狂いにしか映らない。いろ いろな価値観が混在し、いろいろな説があり、なにが正しくて、なにが悪いかなんて誰にもわからない。僕たちの生きているこの世界はそんな混沌とした関係性の世界 であり、しかし僕たちは、そんな不透明で限定的な視座と能力の中で、ポニョが海の上を迫り来る予測不可能な波や障害物を越えて力一杯走り抜けるように、この現 状から駆け抜けなければならない。なにもかもが未確定で、虚ろで、見通しの立たない状況の中でただ一つ出来ることは、力一杯に走ることだけなんじゃないだ ろうか。そしてその原動力となるのは、畢竟個々人の心の持ちようだけなんじゃないだろうか。この映画の訳のわからなさ、暴力的な唐突さに、そんなことを考 えさせられました。
もう一つ、そういう暴力的な展開や訳のわからなさに、すごく子供の頃を思い出しました。子供の頃って、親になんで怒られたのか解らなかった り、なんか気がついたらどんどん状況が悪化してわけわからなくなって泣いちゃったりした事があったじゃない。大人には大人の世界があって、事情や経過があ ることはなんとなくはわかる。でもそれがどんなもので、何なのかは子供には全く理解が出来ないし、どうすることも出来ない。その理不尽さ。意味不明さ。宮 崎駿はどこかのインタビューで、この映画は子供のために作ったと話していたけれど、この映画は大人をも子供化させて映画の中に引きずり込んじゃおう、とし ているような印象すら受けました。だからやっぱり、そういうふうに翻弄されるのが嫌いな人がいるというのも、すごくよく理解できるんだけど。
映画は新宿のレイトショーで見て、見終わったのは午前二時とかだったけど、一緒に見た友達三人でそれから一時間くらいずっと映画の話をしながら 帰りました。主題歌歌ったり、ツッコミ入れたり、ただ酔っぱらってただけって噂もあるけれど、でもやっぱりあれは映画の力なんだと思うよ。とにかくね、魚 が人間になったり海が丘になったり水の中で息が出来たりと有り得ないことだらけのお伽話なのに、発電機のエンジンをかけるときはちゃんとチョークを引いて からエンジンをかける、わたし宮崎駿のそういうところが本当に大好きです。愛してる。


