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この漫画がすごい!(第六回/最終回)

荒呼吸
松本英子著

 旅行誌等でイラストレーターとして体験ルポなども描いているからか、自分の体験を面白おかしく描く他のエッセイ漫画に比べて、松本英子の漫画は落ち込んだときや、うれしいときの感情がどうして湧き上がってきたのか、そんな感情の理路についてずっと丁寧に、しっかりと描かれているように思う。 
 勝手な推測をすれば、体験したことを絵にする際、なにをどう感じたか、それは何故か、ということを正確に簡潔に読者に伝えなければならないわけで、だから自分の感情の機微に敏感である必要があった、のかもしれない。経験や体験を通して己の中で紡がれた糸を丁寧に解きほぐし、心の動きをしっかりと観察する。あまり直視したくない負の感情の部分も、きちんと凝視する。作品全体を通して感じられる自分の行動の由来や根拠を見極めようと試みるストイックで真摯な姿勢に魅せられる。それはどこか漫画を読んでいると云うより、彫刻を彫っている人を見るようだ。時に大胆に掘り進んだり、一歩離れて眺めたりしながら彫り進むうちに、やがて一本の現実という丸太から、著者の物語が現れる。その顕現をそっと間近で見守っているような気分になる。

 ところで、絵を描くという事もまた、畢竟自分が何が好きでなにが嫌いかを煎じ詰めて考えることではないかと思っている。物事を自前の判断基準で精査選択の上咀嚼して、絵として昇華させる。その判断の精度を磨くためには、やはり漠とした自分の感情をのぞき込み、そこに光を当てる作業がどうしても必要になってくる。
 この連載で取り上げた漫画は、総じて手に汗握る展開もなければ特殊な能力もない、平凡な毎日を暮らす普通の人々を描いた漫画ばかりだった。でも、なにも海賊になって大海原を航海しなくても、大冒険はできる。それを実証するような作品ばかりを紹介したつもりだ。少し視点を変えて見渡せば、見慣れた風景は見たこともない風景に変わる。その時役に立つ最強の武器は、伝説の剣でもなければ魔法の杖でもなく、ものさしだ。

(イラストレーション誌2011年7月号掲載)

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