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プールヴァード

 曜日なぞ普段一切関係の無い生活をしているくせに、どこからか漂ってくる連休中日の雰囲気にここぞとばかりに絆されて、すっかり絵を描く気分にもなれず、折角だから連休っぽいことでもしてみようかと思うものの、何をすればよいのかわからない。外は家に居るのが勿体なく思える程のよい天気で、開け放した窓からは、通りを歩く人の楽しそうな笑い声が飛び込んでくる。
 その声に釣られて読んでいた本から顔を上げた拍子に、思いのほか汚れた窓が目についた。そういえば少し前からずっと気になっていたものの、放っておいたのだった。そうか、これをすればいいのか。窓ガラスを拭くという行為は、連休中日にとても相応しい行為に思えた。ありもしない答えが見つかったような気になって、いそいそと古新聞とバケツとスクイージ(ワイパーのような窓を拭く道具)を道具置き場から探し出すと、早速窓の掃除にとりかかった。
 大学生の頃、友達に誘われて掃除のバイトをしていたことがある。オフィスが休みの日、休日の早朝からハイエースに乗って、都内のオフィスビルを巡ってひたすら掃除をする。ゴミを集め、椅子をあげ、床を磨き、ワックスをかける。様々な会社の、普段入れない事務所の中に入っていくのは、いつもとても興味深く、見てはいけないものを見ているような軽い背徳感を伴った。壁に貼られた売上げのグラフや標語が、誰もいない薄暗いオフィスの中でいつも妙な生々しさを放っていた。そんな中に、たまに窓を拭く仕事が混じった。窓掃除は一見簡単そうで、しかし下手がやればガラスに跡が残ってすぐにわかってしまう。高所に登ったりもするから、場合によっては危険も伴う。だから常にベテランの仕事だった。楽そうに見えたのか、あるいは職人への憧れか。窓ふきの何にそんなに惹かれていたのかは、よくわからない。ただ、窓ふきの担当者が建物の外側に回り、リズミカルにスクイージーを窓に滑らせる。跡一つ付けず綺麗にガラスを拭きあげてゆく様を、部屋の中でワックスをかけながらいつも羨ましく横目で眺めていた。
 スクイージーを綺麗にかけるコツは、一度ガラス面に付けたら最後までガラスから離さないことだった。途中で離すと、その部分が乾いたときに跡に残ってしまう。その為に、直線ではなく曲線でnの字を描くように、ガラスの上端やや下から、反対側の端へ、少し下げてこんどは逆へと、少しずつ下がりつつ手首と全身を使ってお手玉のように汚れた水を中央に集めつつ一番下まで落としていって、最後に纏めた水を一気に切る。うまい人がやるとその仕草は、ちょっと踊っているようにも見える。
 あの頃の記憶を辿りながら、霧吹きで窓ガラスをぬらし、スクイージーを切ってみる。それにしても、なんだってなにかの役に立つものだとおもう。思ってもみなかったことが、思ってもみなかったときに役に立つ。
 なかなか思い描いたように手首が振れず、イメージと自分の体の動きが噛み合わない。もっとこうだったのではないか。いや、こうすればいいのではないか。試行錯誤を繰り返すうちに、部屋の窓数枚なんてあっという間に拭きあげてしまう。それだけでは物足りず、結局家中の窓という窓をきれいに拭きあげてしまうと、まるで霧が晴れたように部屋全体が明るくなって、わかりやすく気持ちも揚がった。ここのところずっと続いていた特に理由のない鬱屈とした感情にさえ、なんだかやっと一区切りつけられたような気分になった。どこに向いているのかわからない。もうどこにも辿り着けないかもしれない。それでも自分で漕ぎだした舟は、最後まで自分で漕いでゆかなければならない。たとえ取り返しのつかない過ちを、既に犯してしまっていたとしても。外の景色は以前よりもずっときらきらと輝いて見えて、通り過ぎる人々や車、風に揺れる街路樹、見慣れたいつもの風景に、ガラスを越してしばし見とれた。

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